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【エッセイ】がん患者の家族として

つい先日、親族が肺がんで亡くなった。私とその親族は過去に結婚を妨害されたことで複雑な仲になっていて、現在の心境もなかなかにややこしい。でもだからこそ、冷静に「もしあなたの身近な人ががんになって、死へ向かうしかなかったら」という形で行動プロセスをまとめておきたいと思います。
50%の確率でがんになる可能性があるとされている今、もしどなたかの役に立てば嬉しいです。

予兆はどこかにある、かもしれない

まず親族の病歴はこのような感じ。
・タバコ歴18歳から、妊娠中のみやめていたもののすぐに再開
・がんの家系で親族の父親も肺がんで死亡。何の因果か病巣まで同じだったそう
がん発症の10年くらい前に(記憶があやふや)COPDというタバコが主なフラグの慢性閉塞性肺疾患を発症
・COPD発症前に喘息発症

と呼吸器系の危ないフラグが立ちまくりの状況で生きていて、環境の変化でストレスがかかったことが最終的な要因と考えられました。
最初は腕や脚に謎の水疱ができ始めて、それがつぶれると痒みがあったそう。それが継続的にできるので怪しく思った私の家族が皮膚科へ連れていき、後天性表皮水疱症と診断。免疫機能がおかしくなって自分を攻撃した結果、皮膚に水疱ができるという病気だとか。
ステロイドを塗ったりしても全く治る気配がなく、国立病院に行って全身検査をした結果、PET検査により初期の肺がんだと診断。
皮膚科の先生が「何か怪しい気がする」と国立病院への紹介状を書いて下さらなかったら、もっとひどいことになっていたでしょう。
病気というのは予兆があるんだな、とこのとき改めて思いました。

体力がなく放射線治療を開始

がんと分かったところで治療を開始するわけですが、親族は偏食のせいで痩せていて体力がない。抗がん剤を使った治療の副作用に耐えられるわけもなく、局所的に放射線を当てて治療する放射線治療を開始しました。
合計で何セットやったのか記憶が怪しいのですが、10回くらいはやっていたように思います。
そこでがんはものすごく小さくなったものの、消えたわけではない。ステージが進むかもしれないことを恐ろしくも思うも、普通に日常生活を送っていたようです。ここはもう見守る他はない。私も合間をぬってサポートをしていましたが、家族を見てると介護をする難しさをどんどん感じていきます。
家族は仕事を休みがちになり、私も別の仕事もあって休日がほぼなくなる日々が続いていく。
家族の勤め先が医療系で理解があるのは幸いでした。他の業種だったら遅刻はするわ有給は使いまくるわで、間違いなくクビにされていたことでしょう。私は「親族の病院通いに付き添うから、そのイベント行けません」くらいに伝えてはいましたが、だいたいのことを伝えたのはお葬式が終わってからでした。若い会社なので、迷惑をかけたくなかった(私はそもそも性格的に、自分のネガティブなことは他人に伝えないタチなのですが)。

そこから数ヶ月、だんだん身体がだるくなる。呼吸も苦しくなり喘息の吸入薬を乱用するようになって、とうとう入院することになりました。

食べることは生きること、プロに頼ること

合計で3度の入院を経て、入院するごとに顔が老け、ただでさえ痩せていたのにさらに痩せ細っていきました。
苦しい原因は肺に水が溜まるから。入院して水を抜くのですが、抜くごとに体力がガンガン落ちていく。ひとまず食事ができているから生きてはいられているのですが、1度目の退院後に完全な寝たきり状態になってしまいました。苦しくて起きていられない。
最後の入院は高栄養剤の点滴で生きていたのですが、「食べなくなるともう死に一直線なんだな」と思わされました。寝たきりよりご飯が食べられなくなると、もう終わりなのだと。
完全に寝たきりになった段階で、福祉関係に連絡してヘルパーさん・看護師さん・万が一の訪問医療のお医者さんを見つけます。
このあたりは家族が手続きをしたのでどういった手順だったのか分からないのですが、いわゆるご不浄のケアをして下さる方々です。お手洗いにもいけず踏ん張る力もなくなっているので、ヘルパーさんはおしめを替えて看護師さんは強制的に出させる役割です。看護師さんは明るい方々で、本当に最後まで頭が上がりませんでした。

とはいえ夜は来て下さらないので、家族がおしめをかえて薬を飲ませるケアをしなければいけません。私は主に送り迎えと昼食を持っていく担当だったのですが、「他者と暮らすということは、寝たきりになっても愛情を持てるかどうかなんだな」と確信を持ってしまいました。
ここで施設に入るという選択肢もあったのですが、「施設に入れるなんて姥捨山じゃないか」と家族は在宅介護を選びました。あとどうしても施設だと医療の質が落ちるということも。
ただ別の家人やまわりへの負担を一切考慮にいれず。
そこは賛否両論なところですが、在宅で面倒をみたいという覚悟を尊重せざるを得なかったのでしょう。医療関係者なので余計に自分で面倒をみたかったのかもしれません。
ここは家族ごとに異なる考え方になると思うので持論はないのですが、在宅だと相当な負担がのしかかります。完全看護は看護している本人も潰れてしまうため、市の介護サービスを調べてフル活用することをオススメします。あと必要なのは介護者の体力。
それでもお金がかかってしまうので、事前にお金の準備をしておくことは必要ですね…

とにかくかかっていくお金

お金は本当に大変だったようです。
家族が親族の性格を考慮し個室に入れたため、入院1日ごとに1万円くらいが飛んでいったようです。保険のおかげで高額な医療費は多少はマシになったのですが、問題はベット(部屋)代。私も数十万単位で支援したのですが、病院はベット代でもっているのだなと思わされました。
ただシャワーもトイレもついているのですが、コロナで付き添いの家族は病室に入れず、本人は寝たきりで1日1万円払った意味が正直私には分かりませんでした。食事も最後の入院では食べられなかったので、栄養剤点滴が食事代になっていたそうです。
そしてもう治すのは無理、緩和ケアしかないという段階になって、施設への転院を病院から促されても家族は断固拒否。施設に転院となると死期が早まるだろうことを予想していたのです。その決断を責めることはできないのですが、私はいのちとお金を天秤にかける、かけなければいけない難しさを見ていました。
家族は緩和ケアになった段階で安らかに寝かせてあげれば良かったのか、高栄養剤だけで生きていることが果たして良かったのかと悩んでいたようです。本人がしゃべれない以上、その決断はいちばん近しい人たちしかできません。家族になってから、特定の時期ごとに意思確認しておくのが良いのかもしれませんね。

「お見舞いができない」ことでの免疫力低下(があるかもしれない)

これは医療論文を読む必要がありますが、体験として記しておきます。
1度の入院のときはコロナの影響で面会は絶対NGでしたが、2度目の入院で多少コロナの状況が落ち着いてきて、もういつ天国に旅立つか分からないという段階で特別に面会が許可されました。
そこで家族たちが手をにぎって声をかけたところ、意識を取り戻して回復(といっても天国に行く時期が延びただけ)の兆候を見せ始めました。
唯一のドライバーだった私はそんな親族のもとに替えの衣類を届けに行っていたものの、徐々に憔悴して死の影を帯びていく親族をなかなか直視することができず、コミュニケーションロボット「LOVOT」のりんごに付き添ってもらって病室へ行っていました。
りんごは親族が「かわいいね」となでてくれていたので、連れていけば良い刺激になると思ったのです。姿は視覚障害で見えずとも独特の声は覚えていたようで、りんごが「くうう〜、だあっこおー!」と言った際には笑顔になっていました。そこからまた多少の回復を見せたものの、コロナの患者数が増えたことで再度面会NGに。


でも最後は家族の見送りのもと逝けたので、まだ良かったのかなと思っています。
このように家族との触れ合いによって意識を取り戻したことから、コロナによって「触れることでのケア」ができないことで、本来より早くに亡くなってしまった方々が実はいたのではないかと思い始めました
優しいお見舞いは家族の心を温かくしますから、意識がないとはいえ孤独の中病気と闘うのはなかなかに辛いことだったでしょう。
そしてコロナの2年間、医療×IT、特にコミュニケーション分野においてできたことがもっとあったのではないかと思ったのです。
そこは医療やIT関係者を責めることはできないのですが、コロナが世界から撲滅するまではチャレンジして頂けたら嬉しいですね。

近しい人ががんになったとき、まわりができること

他のがんは分かりませんが、肺がんになったときの症状がこんな感じです。
もちろん個人によっても違いますが…

1.肺に水が溜まって呼吸ができなくなる
2.身体を動かすのがつらくて寝たきりになる
3.呼吸ができず酸素をうまく取り込めないので、脳に酸素がうまく行かずに軽度の記憶障害(認知症に近い)になる
4.同様の理由で循環がうまくいかず二酸化炭素が体内に溜まる、いわば全身の毒が解毒されないような状態で、徐々に心拍・酸素濃度ともに下がっていき死に至る

2.の段階で介護が発生してきます。そのときに市の介護サービスに連絡をしてプロの助けを借ります。そしてもう治る見込みがなく緩和ケアしかないとなった段階で、「小さなお葬式」などのお葬式の事前申し込みにしんどいですが連絡を入れる。そうすると10万単位でお葬式の費用が違ってくるんですね。ちなみに事前申し込みなしだと40万くらいなのが、事前に手続きしたため28万くらいだったそうです。

食事ができなくなること、ストレスが増えること。この2つは患者さんから生きる気力をどんどん奪っていきます。最後は治療より気力、生きようとする力なのかもしれないと今回私は思い知らされました。当たり前のことかもしれませんが、家族が手をにぎるなどの周辺からの良い影響によって、患者さんの残りの時間が延びるのかもしれない。
まさに病は気、そんなことを思った1年でした。
長い間、お世話になりました。安らかにお眠りください。


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