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いつも傍らにアメリカンスポーツがあって


#この仕事を選んだわけ

そんな時代。

「あっ、テーピング巻けるんだ。」「はい。高校のころ、スポーツ用品を扱っているOBの紹介で使ってみたことがあるんです。この方法でいいのかどうかはわかりませんけれど・・・。」

40年近く前、テーピングテープを扱っている店を探すこともたいへんだった時代。パッケージの裏に描かれていた説明図を頼りに貼っていた。             小学生のころから動く工作は得意な方だったので、何となくテープの意図や目的を理解して貼ることができていた。

大学での所属はアメリカンフットボール部。テーピングはもとより、当時としては珍しい空気圧で負荷を調節するマシンを使ってのトレーニングも行っていた。アメリカナイズされた練習はストレッチングで始まり、全身反応のドリル、パート別練習、全体練習など。                30分に1回は水分補給ブレイクがある。これには妙な後ろめたさを感じた。「運動中に水を飲んではいけない!」 が当時の通説だったからだ。

マシンでのトレーニングも、テーピングも、やっているだけで何だか「上がった」。アメリカのスポーツやってるぜ!な「気分」だったから。             もちろんちゃんとした効果もあったけれど。

転 機

あるとき、ギプスを巻くほどのケガを負った。リハビリの際、自分でプログラムを考え、大学のマシンで鍛え上げたいことを担当医の先生に伝えると、こころよくリハビリの目的やゴールを示してくださった。

この経験以降、負傷したチームメイトの競技復帰に向けたトレーニングを手伝うようにもなった。

NFLやカレッジにはトレーナーという職種の人がいることを、何となく知ったのもこのころだった。なにしろ今ほど情報があふれていない時代だ。正確に知る術なんてない。だから「何となく。」なんだ。

同じ時期、書店でハワイのアイアンマンを紹介する雑誌を目にした。フラミンゴのように髪を染めた選手のカバー写真が衝撃的に新しかった。タテ社会・坊主アタマ・気合い・・・。これまでのスポーツに対する妄信を具体的に否定してくれているようで、単純にうれしかった。

それに続くかのように、今では多くの人たちが知るフィットネス雑誌が創刊された。海の向こうではファッションでもカルチャーでもトレンドでもなく、「日常」としてカラダを動かすことを楽しむひとたちがいて、それを支えるインストラクターがいて、なんだかカッコよくて。

自分がこれまでやってきたことは「もしかすると、その世界に関わるための助走みたいなものだったんじゃないか?」と感じるようになった。心ひそかに「いつかはその雑誌に載るんだ。」みたいな野望まで描きながら。

就活・資格取得

就活の時期になり、どうしたらそれに近づけるかと考えた末、泳げもしないのにスイミングクラブを運営する会社に就職した。(そのときのお話は、さんご水錬部通信/だって泳げなかったから 「水泳(スポーツ)上達のカギ」
https://note.com/35suibu/n/n63cc76278a9dをご参照。)

さらに、スポーツだってフィットネスだって、健康のための体操やウォーキングだって、体育でもなければ医療でもないけれど、十分に体育だし、医療でもある。生涯にわたってたのしく、心地よく、何より安全に取り組んでいただくことへの「責任」もあるから、体育(運動)と医療、両方の資格も取ってしまった。                           運動の方は、やっぱりアメリカに本部をもつ団体の資格なんだけれど。

そして、いま

いま、エクササイズのできるスタジオとカラダのケアができる治療室を運営している。医療機関ともスポーツの企業ともつながっているし、アスリートのサポートも続けている。

真面目に本気で科学して、でもやらされるんじゃなくて楽しくて。その結果が世界一だったり、楽しい毎日が送れる原動力だったりする気持ちよさを、たくさんの人たちに体験してもらいたくて。

この仕事を選んだわけ

 スポーツの現場に出ると、かなりの確率でアメリカンフットボール出身のトレーナーに出くわす。どの競技よりも先に、スポーツの「あるべき」カタチに接していたからなのだろうと推察する。

「この仕事を選んだわけ」と問われれば、いつも傍らにアメリカンスポーツがあって、心昂(たかぶ)る情報もいっぱいあって、でも独り占めはしたくないから選んだのだと思う。

で、野望はどうなった?

30代前半のころ、連載企画の担当トレーナーとして誌面を汚す栄誉にあずかり、件のフィットネス雑誌に載るというささやかな野望は、おかげさまで叶ったのでした。


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