人は考えを素直に口にすると怒られる(自己紹介の話パート1)
子供の頃は、自分の宿命を解っていたような気がする。
僕の人生は、多分、普通だ。今もお堅い仕事をしているし、映画並み劇的な人生を送って来た訳では無い。
35歳ハタチ、
これは、僕が小学校のとき、意味もなく連呼していた言葉だ。もうすぐ、35歳を迎えるこの頃になって、この言葉は、今の自分自身に向けて、当時の自分が発していたように思う。
その頃、僕はうるさかった。今よりもっとうるさかった。
4月生まれの僕は、周りより成長も早かったし、大人の言うことによく興味をもち話を聞く、賢く活発な男の子で、幼稚園で、すでに人生の絶頂を迎え、無敵だった。
幼稚園の上級生に「ブランコかわって」と言われても、
「イヤだ」と答えていた。僕の態度にムカついて、殴ろうとしてきた拳を首を傾けて躱し、返り討ちに出来たし、スグにハサミなど持って、「ぶっ殺す」と叫ぶ意味のわからない(殺せないクセに何を言っているんだコイツは、と思って)下級生に対して、マウントをとって返り討ちに何度もした。
ドッチボールでは、先生が投げたボール、それも後ろから飛んできたものを、間接視野と予測で、素早く身体をズラし避けることも出来た。
ピーク中のピークだ。
時代劇の「遠山の金さん」が入れている桜吹雪の刺青に憧れていたので、少し年上の親戚のお姉さんや親にマジックで桜吹雪を身体に書いてもらい、
パンツ一丁、裸足生活がモットーの野生の王国のような幼稚園を、入園した年中から謳歌した。
まるで漫画「クローズ」のスーパー編入生みたいだ。
「言いたいことをいい、やりたいことをやった」
言うことを聞かない訳ではなく。多分、やることは優秀だった。夢中になると1人で黙々と事に励んだ。
現在は、何をとっても「普通」である。幸い、思春期反抗期の中学生以降の血なまぐさい喧嘩はやったことがないし、爽やかなスポーツマン人生を過ごしてきた。運動神経は、悲しいかな「普通」だ。
ただ、これまでの学生生活の中で、普通にしているつもりでも、度々、やらかし事を僕のせいにされることがよくある。今もある。当たっている時もあるが、、、
幼稚園で、人生のピークを迎えると、「何か出ちゃう、発しちゃう」のかもしれない。出る杭は打たれるという、諺があるが、こちらは今まで、何度も打たれている。
今では僕は、打たれることに慣れた非暴力非服従なパンチドランカーな杭である。
「思い切っているようで、なんとも勢いがない」
自分が思う今の自分への印象だ。肩を壊した投手みたい。
これが大人になるってことなのか?
小3の頃の出来事は、今も印象に残っている・・・(続く)
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