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テトラ
こどもの頃から、牛乳パックのあの形が好きだった。
三辺の全てが等しい正三角形。その三角形を四つ繋げて出来る正四面体。立方体や直方体のように、押したらぺしゃんこになってしまうイメージではなくて、ちょっと尖ってる。どの面から見ても正三角形で、美しい。
その夏、家庭菜園のきゅうりの支柱を牛乳パックのようなテトラ状にしてみたのは偶然だった。裏の竹やぶから切り出してきた三本の支柱を、なんとなくてっぺんで結束して、地面には正三角形の位置関係で刺したのだ。遠目に見ると、ネットを纏った支柱は、牛乳パックさながらだった。
梅雨が明けたある夕方、飼っている柴犬を連れて散歩していたら、お気に入りのボールがポケットから転がり出てしまった。そして、ボールに反応した柴犬が鼻でつつくものだから、勢いがついてきゅうり棚の下に飛んでいって止まった。
─もう!
思い切って頭をテトラの支柱のあいだに突っ込むと、生い茂るきゅうりの葉と巻きつく蔓は、むせかえるような青い匂いを発していた。うぶ毛だらけの葉と葉の間には、ごきげんな黄色い花が散りばめられていて、雌花なんて、咲いている時からごくごく小さなきゅうりをくっつけて咲いているのだった。
緑色の小さな世界。
それ以来、私は、夜な夜な「テトラ」の中へ行ってぼーっとするのを楽しむようになった。
皆が寝静まったら、蚊取り線香とコールマンのランタンを手に、ボウボウと生い茂った草を踏みしめてテトラへ向かう。肩からはアラジンの魔法瓶を下げている。今日も、よく冷えた麦茶を飲み飲み、きゅうりカーテンの内側から夏の大三角形を見上げよう。
🥒
最初は、気のせいかと思った。私の左耳は、少しだけ難聴でいつもサーーッと耳鳴りがしている。その潮騒のような音の隙間から人の声がしたのだ。
周りを見回す。
誰もいない。
私しか。
不思議と怖くなくて、「なんだか混線してるのかな」という気持ちで、声をそのままに夜空の鑑賞を続けた。その声が心細そうで、おっかなくはなかったからかもしれない。
そのうちに、段々とチューニングが上手く行くようになったのか、割と鮮明に聞き取れるようになってきた。よく聞こえるはずの右耳ではなくて、不思議なことに、聞こえない方の左耳からだけ聞こえてくる。
🥒
「線香花火をしてる丸まった彼の背中を見ていて、もう駄目なんだなぁと確信したの」
「あの人は私に声もかけずに、一人で火をつけてしまって、パチパチはぜる火球をギュと集中して見てる」
「最後に一本残った線香花火を、ふたりで大切に見るのが楽しみだったのに」
私に聞かれているとも知らず、話している。
声は、感情の起伏少なくぽそぽそと続いた。
「もう、美味しい紅茶も甘いお菓子も、繊細なピアノ曲すらも私には効かない」
「もう光弾も蟲笛も効かない。あなたは殺し過ぎる」
しばらく聞きつづけていて、ある日分かった。
これは、私が昔、頭の中で書いていた日記なのだと。どういう仕組みなのか分からないけれど、私の頭から取り出されて、左耳に転送されているらしい。遠くの誰かの意図なのかな。
毎晩聞いているうちに、すっかり引き込まれてしまった。自分のことについて。
ある日は、会話が止まらず小一時間続いた。
ある日はごく短く。
連綿と続いた自分語りの概要は、以下の通りであった。
📖
世界の終わり
初めての人との別れを経験している。
これ、どこにカギカッコを付けるかで意味が変わってしまう。
初めての「人との別れ」
「初めての人」との別れ
一人住まいのアパートから飛び出して実家へ。
早く
早く
早く
出会う前の世界にリセットしよう。
恋愛などまだ存在もしていなかったあの世界へ。
ソファの前の、フローリングに敷かれたギャッベの肌触りを感じたい。その小さな四角の上にさえ戻れば安寧な気持ちに戻れると思う。
母親に手渡された温かいコーヒー牛乳を飲んで、妹たち二人に囲まれて他愛のない話をしていれば、彼に煩わされてた気持ちなんて、最初からなかったことにできるはず。
でも、ダメだった。
あの人との記憶は世の中のありとあらゆることにくっついて上書き保存されていて、レースカーテンごしにチラチラ光る日差しからも、リビングに無造作に置かれたリモコンからも、顔を拭いた時にあたるタオルのパイルからも「悲しい」が滲み出てきた。
電話口で友人は言う。
「恋愛なんて気持ちのコントロール次第でしょ」
「捨てられた時に、ひらりと着地して、何事も無かったかのようにスタスタと歩き出せるようにしておくものよ」
いや、違うだろ!
全振りで没入して、それが無くなっちゃったら、取り乱して、ぐちゃぐちゃになって人間の形を保ってられないんだよ。
世界が終わる。
世界の終わりって、アルマゲドンみたいな宇宙規模の滅亡のことと捉えていたけど、そうではなかった。
ミニマムな私の心の世界が、
極小の私だけの城が、
私が私であるための精神世界が、
終わることだった。
私の想い人が私から去ることは、世界が終わることを意味していた。思考が止まり、無となり、画面には砂嵐が吹き荒れる。その先の生活など無い。
世界が終わる。
・
・
・
私は「恋う気持ち」を手放したいと思った。
私を取り囲むこの世界から隔絶した、別の世界に属する誰かに持ち去ってほしいと思った。
天空の城ラピュタにこんなシーンがある。
シータは、分厚い植物の壁に隔てられた向こう側にいるパズーに、やっと貫通した壁の穴を通して飛行石を渡す。
穴の中へ身体の限界まで手を伸ばして、向こうの世界から伸びてきた手に、
『海に…、捨てて……!!!』
と渾身の願いを込めて渡す。
そんな風に、手放したいと思った。
世界は終わった。
📖
遠くの誰かよ。
何故、今になって、あの時の気持ちの乱高下を私に送信してきたのだ?
面映ゆく赤面してしまう。
なんなの、これ。
面白いではないか。
私は世界の終わりのその先に存在している。
あの日終わった世界はまだ続いていて、手放してしまったはずの「恋う気持ち」は、飛行石みたいに固く結晶化して今ここに届いている。
私はきゅうりの蔓が絡まるテトラの下で、毎夜、隔絶された世界のあちら側とこちら側を行き来した。
空には満天の星。
🥒
ある日、テトラに行って気がついた。
どんなに何杯もお茶を飲んでも、声が聞こえてこない。支柱のてっぺんを見ると、結んでいた紐がほどけていて結束が緩んでいた。焦って一生懸命に結び直してみる。でも、もう同じテトラではないようだ。
その日を境にふっつり受信ができなくなった。
もう、左耳から声が聞こえてくることはなかった。
(了)
この企画に参加しています。
うるらさんにも、文中、「誰か」として登場していただきました。
楽しんで書くことができました。
ありがとうございます。
ハトちゃん(娘)と一緒にアイス食べます🍨 それがまた書く原動力に繋がると思います。