世界はそれを愛と呼ぶんだぜ


お正月、こたつに入ってうつらうつらしながら、つれづれなるままに考えが深みにはまった人はいないだろうか?
それは、私だ。
私は、正月に爆速で脳内をひとりで駆け抜けた。


⭐︎⭐︎⭐︎


そこは気持ちの良い場所だったと思う。
高層の建物など皆無な辺境の平野のど真ん中にあって開けているし、そしてそこに立てば、庭木や電線も眼下に見おろすことができる。
雲ひとつない青空の底にある、一軒家の屋根の上。

わが家の恒例の行事がおこなわれていた。
準備するものは、先端にフサフサしたブラシが付いた3mほどの長さの棒とたくさんの古新聞。ジョイントで組み立てる柄の部分は樹脂製で、しなる素材でできている。

薪ストーブの煙突を掃除するのだ。

ストーブの出番が必要となるようなこの冬一番の寒気がやってくると天気予報が告げたら、煙突掃除をすることになっていた。
屋根に登ってブラシを動かすのは夫。
室内の養生や、マスキングは私。
応援担当は、娘。

掃除の日は晴天でないといけない。雨で屋根が滑ると危ないから。
そして、屋根に上がるために梯子を登り降りする時には、高所恐怖症の夫を私と娘が励まさないといけないし、梯子を押さえて見守らないといけない。

夫は梯子に登っていった。
いつもなら、私は梯子の横に立ち、屋根上の夫に大きな声で話かけ喋りながら待つのだが、ふと洗濯が途中だったことに気がついたので部屋に戻った。

あるカラリと晴れた空の下、そっと梯子は外された。


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脱水中の洗濯物をぼんやり眺めていた。
今日は寒いけど、日射しがあるから夕方には乾くだろうな。それにしても、洗濯物、結構あるなあ。男物のスウェット上下ってなんてかさばるんだろう。この間までは、洗濯物、少しだったのに。

「あぁ、帰ってきたんだなあ。」
心の中で少し大きくつぶやく。

ちょっと前まで夫と別居していた。夫は私たちと離れて都市部で一人暮らしをしていた。私はその状況を夫の一人旅と呼んでいた。結婚して私の郷里に来てくれた夫はずっと窮屈そうにしていたから。原因は農業。
夫が別居を切り出した時、体内に降り積もった苦しみが一気に体の外へ噴出してきた様子で、とても弱っていた。

「ホントは、煙突掃除なんてもう二度とないかもって思ってた。」
心の中でふうっと息をはきだす。

テレビ電話で話す日々だった。
夫は私を嫌いになったわけではなかったので、いつも娘が寝る前に電話をかけてきた。その日あったことを話す娘、嬉しそうに聞く夫。次の連休に夫の家に泊まりに行く約束をして切る。
「いつかこの番号が繋がらなくなる日が来るのかも知れない」
と思いながら、切断ボタンを押す。私たちは瞬時に夜のあちら側とこちら側に切り分けられた。心の奥にある黒く暗ーい穴を塞ぎたくて、明るい夢の導入部を全力で引っ張ってこようとしては、幾夜も失敗を重ねた。

夫は電話を切った後どうしていたのだろうか。
大きな公園の近くに借りた部屋に一人きりで。
深まっていく夜の濃さに押し潰されそうになることはなかったのだろうか。

夫は一人でコツコツやる作業に向いている人だ。始まりから終わりまで工程を考えて、プランを練り、必要な情報と材料を揃える。日程を無理なく調整し、実行に移す。本業でもそうしているし、プライベートでもそうしてきた。
私は夫がコツコツやっているのを見るのが好きだ。付き合いはじめの頃、一緒にキャンプに行った。こまごまとしたキャンプギアを要るもの要らないものにわけて、取り出す順番を考えてツールボックスに入れ、きちんと車に積み込む。この人は準備を面倒とは思っていなくて楽しんでいるんだ、そう気が付いた私はとても驚いた。そういう発想がなかったから。現地ではてきぱきとテントを張って、とても生き生きと火をおこし、水を汲んで、お湯を沸かしていた。そして、この世のものとは思えない美味しいコーヒーをいれてくれた。
そんな夫だから、結婚後に始めた農業(兼業)もコツコツとやっていけそうな気がしていたが、結果、ダメだった。私の父や地域の人たちと折り合えず、夫から笑顔がどんどん消えていった。

夫は夫で心の葛藤と戦っていたんであろう。
この土地から距離を置き、別居という一人旅をして、それに決着をつけて帰ってくると言った。(農業を委託に出すことができたのも良い方向へむかう追い風となった。)

でも、私だってずっと前から戦ってきたのだ。
ここで生まれて育ってるからこそ。

年寄りには理解されない流行りの服を着て、駅までの農道を自転車で爆走し、「チンピラ」と呼ばれた10代。田舎の衆人環視を振り切るように、真オレンジのリネンシャツを羽織り、植えたばかりの緑の水田を、抜けていった。
ペダルをこいで、こいで、こいだ。

この土地と距離を置きたかったのは私だ。


屋根の上の方から「おーい」と言われた。
聞こえたような気がした。
でも放っておいた。
「しばらく、そこにおれ!」
そう思ってしまった。

夫の視点は地面から離れてぐっと上からとなる。
生活のただ中にあっては見えない世界が、俯瞰的な視点を得ることで目に入ってくる。

多分、そこからは、見えるはずだ。
刈り取りの終わった稲の切り株が続く田んぼ。
冬の澄んだ光を浴びる遠い山の連なり。
一時は、彼の心を塞ぐほどの苦しい風景だったはずである。

でも、美しいんだ。

ただ、美しい。

帰ってきたからには、この土地の良いところにも気がつくといい。農道を爆走する私の背中のまぼろしだって見えるかもしれない。

私の心には、青い空の下で屋根に体育座りしている夫の姿がありありと浮かんだ。夫は見た目が「魔女の宅急便」に出てくる「とんぼ」に似ている。空を飛びたい少年。

空を飛びたいのなら、自ら飛ぶ仕組みを考えてみたらいい。

時間にしたら、30分足らずの短い時間。
私は、家事をひとしきりこなしてから、夫の視界に戻った。

もちろん、梯子を再びかけるために。

お昼のおにぎりも準備完了している。

世界はそれを愛と呼ぶんだぜ!


昨日のアナタが裏切りの人なら
昨日の景色を忘れちまうだけだ
新しい日々を変えるのは いじらしい程の愛なのさ
僕等それを確かめ合う
世界じゃそれも愛と呼ぶんだぜ
作詞作曲  :  サンボマスター 山口隆





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お正月に、テレビからお笑い番組のおめでたい音声が流れてきて、部屋は暖かく、お腹はいっぱいで、向こうのほうでは夫と娘がNintendo  Switchをやってる気配がしていて幸せだった。
うつらうつらしながら、夫を置き去りにした瞬間の気持ちを反芻していた。
わが家のちょっとした事件。

「梯子を外す」

通常、メタファーとして出てくるこの言葉。
本当に現実でやってやったんだぜ。



追記

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キリンビールのコンテストに出品した記事です。



全然悲壮感なくて、のんびりしています(笑)




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