一瞬のぬくもり

「じゃあ、行ってくるよ」
そう言ってあなたは私に右手を差し出す。
いつの頃からか、空港で見送るときのささやかな儀式。
左手をそっと重ねた私は「気を付けて」とだけ言葉を贈る。
見えなくなる前に、一度だけ振り向き小さく手を上げ微笑みを浮かべながら消えていく。
ここは少し寂しい場所だ。

少し離れた所では、小さな子供を抱いた若い女性が涙を浮かべて男性を見送っている。
あんな時代が私たちにもあったのかな。

帰る車の中で、ステアリングにかけた手にふと目を落とす。
あなたからもらった手のぬくもりを
もう私の手は覚えていない。
どんなに大切に思っていても、忘れたくなくても
あなたの温かさを感じたのはほんの一瞬だった。

私たちはささやかな一瞬をつなぎ合わせて
幸せを感じているのかもしれない。
頭の中や胸の奥で感じた気持ちを思い出しながら。

もっと素直になれたら、
言葉にしても仕方ないけれど
寂しいって言えたなら何か変わるのだろうか。
それができる私なら、私ではないだろう。

帰国のとき   あなたの姿を見つけても
きっといつもと同じ。
何も変わらない。
「お帰りなさい、疲れたでしょう?」の言葉から始まる。
旅立つときのようにあなたの温かさを感じる瞬間はないけれど、
ただ、そこにいてくれるだけでいい。
そう感じているのはきっと私だけではないはずだから。

そんな優しい時間が私たちを包んでくれる。
          



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