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『言いたいことを言う』が一番。

今日、「人生最後の食事」という本の話をした。この本は、ホスピスで働くシェフの話。原作は海外のもので、翻訳されている。

3月に私のお父さんのような存在の祖父が亡くなってから、死ぬことについて向き合うことが多くなった。そして、『家族』と向き合うことが多くなった。家族に『』がついているのは、正確には「家族とは何か」という概念に向き合っているから。結婚したら家族になれるのか?拡張家族は誰かが老いたときに面倒を見れるのか?どういう関係を家族と呼ぶのか?色々な角度から考えた。家族がいいなと思うとき、逆にめんどくさいなと思うとき、何の枠組みもないとしたら家族と呼べる人は何人いるか。

必然的に生き方も考え直している。やっぱり私の生き方の中心にあるのは仕事。今までの選択肢ひとつひとつを手に取って、大切にしているものを考え直してみた。人、関係性、環境、働き方、目指しているもの、やっていること、など。複雑に絡み合っていて、何度も何度も解こうとしても、解けない。

すべてが満点になる答えはない、いま満点だとしても、きっとまた私は変わっていってしまうのだろう。変わってしまう自分に失望することは何度もある。逃げなのか、理由と言い訳をすり替えてないか。だけど、だから、今も精一杯未来の私のために考える。考え続ける。

「どう生きるか、仮でも決め続けるのがいいんじゃない?」ととある人に言われた。たしかに、悩み続けるより、決めて走って数ヶ月後に立ち止まる、でいいのかもしれない。

ちょっと話を戻すと、「どう生きるか」は「どう死ぬか」を考えれば見えてくるというようなことを聞いたことがある。から死ぬことに向き合ってみようと、この本を手に取った。

序章に書いてあったこの言葉は痛烈だった。

「愛は、死と儚いものすべてに対する反逆」

それでも人は死ぬし、人生は儚いものだらけだ。その悲しみを感じるから人は人であれるし、そこから救えるのは愛、なんだと信じたい。

ここからは特に好きだったところを紹介します。

「なぜ私はこんな目にあうの?」と考えるのは的外れです。「なぜ私はこういう目にあわずにすんでいるの?」と考えるのが正解。病気になる可能性はだれでもあります。むしろ私はここまで長生きできてラッキーでした。
出産も生も死も本来はすべて等しく、自然なことです。効率化社会、若者至上主義の中ではないものになっている。でもよく想像するんですが、誰も死なず、生に終わりがないとしたら、きっと誰もが無気力になる、モチベーションもなくなります。
過去を悔やむものはどうやって心の平穏を取り戻せばいいのだろう。ループレヒトは内面の葛藤がない人ほど安らかに解放されるという話を何度も耳にした。
解放されるとはどういうことなのか。おそらくそれぞれの人生には小さなターニングポイントがいくつもあって、慎重に見極めないと、手に負えない事態になるか行き止まりになる。
ループレヒトだって悔やんでいることはあるし、いつかそのことで苦しむかもしれない。だがそうならないように過去を見つめなおしたり、周りの人のことを考えるようにしている。彼は笑いながら自分の弱さを認めた。「いつもそううまくいっていたらいいんですがね。僕が人と接するときに目標にしているのは、気に入らないことがあればすぐに言うこと。もし間違っていたら、『もっと相手に優しくできるだろ』と言い聞かせます。自分の態度がだれかを嫌な気分にさせているなら早急に改めます。そうしたからといって僕の品位が傷つくわけじゃないですから」
人生とは意思、決定、計画、選定、行動によって成り立つが、死に対してだけは能動的に何かすることはできない。どう反応するか、それに尽きる。
死を前にした人々は、失うものがないので正直になれるのかもしれませんね。自分の考えをはっきり言うから楽しくて濃密な関係ができるんだし、人間関係も生まれるんだと思います。

つまり、失うことを恐れ続けたら、濃密な関係は築けない。それはとても切ないことだと、私は思う。じゃあ、私は何を失いたくないんだろう。

このシェフ(ループレヒト)の生き方もすてきで、私の憧れに近い。ホスピスで働くまで有名高級レストランで働いてきた。本当に人のために働くことが好きで、こんなフレーズが随所に入っている。

「ループレヒト、あなたを抱きしめてもいい?」こんな言葉が自尊心を満たしてくれるし、人としての心を揺さぶる。
食事は他人に構わず自分で好きに選ぶことのできる最後のオアシス。他人でなく、自分だけが主導権を持つ楽しい時間。人の心を解放する扉にもなる。
数日間問い続けた。「何がしたい?本気で人のために何をしたいか?そのためなら調理師をやめても平気なほどか」
情緒不安定になったらコック帽を脱ぐ。これが最良の処方箋である。感情のおもむくまま生きても、なかなかそうはいかないものだ。だからつらい仕事をしたらその分だけ楽しい時間を過ごすようにしている。

全体を通して感じたのは、最期の隣には妻か夫がいること。もともとはただの他人なのに、そこまで一緒でいることがすごいし、何をそうさせているのか、どうして家族で在れるのか。

そんなことを考え続けさせられた本でした。

ちなみに、『葛藤を残さず生きるには』の今の答えは、正直な自分を受け入れ、言いたいことを伝えることなんじゃないかと思います。

ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。