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悩むっておいしいし、たのしい

立ち尽くしている人を見た。
腕を組み、悩み、真剣な眼差しで立ち尽くしている。

このサラリーマンはきっと、私と同じだ。
気持ちが、考えていることが、手に取るようによく分かる。


男性はスーパーのお惣菜売り場で、立ち尽くしている。

大きなエビが2匹入った天丼
目玉焼きがのったハンバーグ弁当
唐揚げゴロゴロのお弁当

わかる。痛いほどわかる。このラインナップは悩む…。
しかも、すべて「40%オフ」のシールが貼られ、周りにはたくさんのライバル。タイムリミットはそう長くはない。

数分立ち尽くしてはお弁当を手に取り、元の位置へ戻し、今度は他のお弁当を手にする。やがて、回鍋肉弁当をカゴに入れ、男性はその場を後にした。


食べる量なんて、たかが知れている。一度にお弁当2つは食べられない。
たかがお弁当、されどお弁当。回鍋肉弁当…渾身の選択だ。



「何かを選ぶ」のは人間の楽しみのひとつだ。

朝、昼、晩。
私には食べるものを選ぶチャンスが毎日ほぼ3回ある。


朝はうどんやパスタが多い。
素うどんにするか、ツナマヨパスタにするか、はたまた趣向を凝らして水餃子にするか。日々悩む。

平日の昼はパスタが多い。
かけるだけのパスタソースを常備している。悩みは昼にも健在。ミートソース、カルボナーラ、たらこ、バジル。「昨日はカルボナーラだったなあ」などと思い出しながら、だんだんと的を絞る。

夜は困難を極める。
お惣菜を買いに行くか、ご飯を炊いて何かおかずを作るか、夫とどこか食べに出かけるか。週末なら、宅配ピザも捨てがたい。自宅焼き肉という手もある。


こうして何を食べるか悩み、選び、日々が過ぎていく。



無性に甘いものを食べたい日もある。

甘いものといえば、ドーナツ。ミスタードーナツ。
ミスドは大人になった今でも、私を悩ませる。

ミスドは滅多に行かない。かといって何個も食べられない。ドーナツ3個はなんとなく食べ過ぎな気がするため、2個選ぶ。


フレンチクルーラーはお店に着く前から決めている。必ず選ぶ。好き過ぎるので、「前世ではフレンチクルーラーと親友だった」といわれても納得する。

「なんか甘いもの食べたい」ときの甘さは、フレンチクルーラーがちょうどいい。しっかり甘いのに、くどさはない。ほんのり優しい甘さ。空気を含み、ふわっとした食感も花丸。


選択枠はあと1個。

クリームどっさりたっぷりのエンゼルクリーム、その横にはサックサク生地のオールドファッション。うーむ…どっちも魅力的……。

さらに、もちもち食感のポン・デ・リング、抹茶盛りだくさんの期間限定ドーナツも控えている。いやあ困ったなあ。



ミスドではすぐに決められないので、たいていは順番を譲る。

サササッとドーナツを選ぶ人は、お店に入る前から決めていたのだろうか?
もしくは私のフレンチクルーラーのように、定番ドーナツがあるのか?
もしもその場で即決しているなら、決断力が凄まじい。

……などと考えながら3人に順番を譲り、フレンチクルーラーとチョコファッションをトレイにのせてレジに向かう。



ある日の夕方は、ドラッグストアのお菓子売り場で小さな兄弟を見た。小学校低学年ぐらいのお姉ちゃんと、4〜5歳ほどの弟。

「早く決めないとお母さんレジに行っちゃうよ!」と急かすお姉ちゃん。
「えぇ…やっぱりチョコにしようかなあ」と悩む弟。


ふと思い出した。

私が小学生の頃、母の買い物についていくと「お菓子は100円までなら買っていい」というルールがあった。

小学生に100円はなんとも絶妙な金額。

駄菓子なら3〜4つは買える。「100円のおもちゃ付きお菓子1箱だけ」という選択肢もある。どちらも捨てがたく、母がレジに向かうギリギリまで悩む。算数よりずっとずっと難しい問題だ。


ドラッグストアで見た男の子は、いつかの私。

将来のことなんて、よく知らない。毎日毎日その日を精いっぱい生きて、精いっぱい選ぶ。100円に妥協なんてしたくないのだ。



食べものは今や、数えきれないほどこの世にある。

私が知っている食べものなんて、ほんの数%にすぎないだろう。
無論、食べたことがないものの方が多い。


近所に、店員が全員インド人(と思われる)のカレー屋がある。

ナンは推定約30cm。いっつもシルバーのお皿から少しはみ出し、もちもちで旨い。チキンカレーはお肉が口のなかでホロホロと溶け、スパイスが効いている。

ドリンクはラッシーやチャイも選べるため、毎回悩む。メニューには見慣れないインド料理が並び、店内ではインド語らしき言語が飛び交い、インド旅行したような気分になる。


ここ数年、定番はチキンカレー。未だにマトンカレーを選んだことはない。ビリヤニがどんな味なのか、インドビールは日本のビールとどう違うのか、まだ知らない。

インド人が作ったカレーとはいえ、きっと日本人好みにしているだろう。インドに行ったことがないので、本場インドのカレーの味もきっと知らない。



コンビニや冷凍食品やレトルト食品が普及し、さほど遠出しなくてもさまざまな食べものと出会う機会が増えた。

有名なラーメン屋監修のカップラーメン、肉汁たっぷりの冷凍シュウマイ、お店に負けないほど美味なレトルトのバターチキンカレー。

ガパオライスやパッタイ、チーズタッカルビなど、珍しい海外料理にも身近で出会える。


久しぶりにお気に入りのカフェに行けば、期間限定メニューが誘ってくる。

「たまには宅配ピザもいいなあ」とチラシを広げると、新商品と期間限定と定番のピザが一斉にわあっと押し寄せてくる。

コンビニでは何を食べようか散々悩んだかと思いきや、レジの横で肉まんや焼き鳥がこちらを見ている。見るな…また悩んでしまう。



私が食べものを選ぶときに悩むのは、半ば確信しているからだ。

どれも「きっとおいしい」と。

おいしいものばかりだから、どのおいしいを選ぶのか悩んでしまう。悩むってもはやおいしくて、楽しい。


今、私は37歳。
単純計算すると、37年×3食×365日=40,515。4万回近く何かを食べている。

そのうち、何十回かはフレンチクルーラーを選び、1,000回以上はパスタを選び、10回ほど近所のインドカレー屋を選んでいる。



この世はたくさんの「おいしい」があって、「おいしい」を選ぶ楽しさがある。

「もっといっぱい食べたい」と願うのもむなしく、食べる量は年々減っている。せいぜい、3食+おやつ+夜食が精いっぱい。


だけど、私は、今も昔も大して変わっていないのだろう。あの男の子のように。100円のレトルトカレーにも妥協したくはない。


100円が200円になり、1,000円、3,000円、5,000円と金額が大きくなっても、おいしいを選ぶ楽しさは何も変わっていない。

100円のお菓子も、500円前後の牛丼も、ランチセットのドリンクも、特別な日のケーキも、早く起きた朝のご飯も、どれもとことん悩みたい。

スーパーのお惣菜も、自販機のジュースも、パン屋さんのパンも、ほんとにほんとに選ぶのが楽しい。


私はおいしいと、楽しいでできている。



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