見出し画像

離婚の危機と、やさしさを取り戻すまでの4日間

初めて、離婚の危機が訪れた。

事の発端は2週間前。夫がお酒を飲みまくり、突然「離婚や」と言った。他にも「面白くない」などの暴言を吐かれ、言葉のごとく散々。

私の心に突然、手榴弾をいくつも投げつけられたようだった。悲しみや怒りで、心が散り散りになった。


飲みすぎて記憶がない状態の夫は、明らかに様子が違う。

「離婚や」と言っときも、私がこぼしたお酒を拭いている最中に「拭かなくていい」と言ったときも、記憶がないと分かっていた。


でも、記憶がないとしても、夫の口からあんなに暴言を吐かれたのは事実だ。記憶がない状態で殴られたら、傷が残る。言葉も同じ。私はだいぶ傷つき、心底ショックで、怒りもわいた。

夫が謝るのを待ち、自分からは絶対に謝らないと決めた。


翌日の木曜、私は夫と物理的にも心理的にも距離を置き、2人がけのソファに一度も座らなかった。別の机で仕事したり、動画を見たりして、夫とは一切口を利かなかった。そう、夫は謝らなかったのだ。同様に私も。

お互いに全く歩み寄ろうとせず、金曜も土曜も同じような日を過ごした。


夫と出会って、10年と半年。喧嘩は1年に1回あるかないか。3日間も口を利かない喧嘩なんて、初めてだった。

初めてというのは、何かと不安がよぎる。良くない状況ゆえ、良くないことばかり考えてしまう。

「本当に離婚するのか?」の疑問はいつしか、「私はこの世にいなくてもいいのではないか?」の疑問に飛躍した。人間って怖い。



日曜。膠着状態は4日目に突入。夫も私も、買い物以外は自宅にいる。相変わらず、一言も話さない。

私は耐えきれず、もうどこかへ行きたかった。宿泊を考えたものの、ここで夫と会わなくなったら、本当に終わる気がしてやめた。


迷った挙げ句、映画館へ。なんとなく戦う映画を避けて、『きのう何食べた?』を観た。カップルの話だし、ドラマを観ていたし、京都が舞台だし、最適なタイミングに思えた。

タイミングは見事だった。台詞がグッサグサに刺さり、観賞中は傷だらけ。別の意味で手榴弾を投げ込まれた。大切な人に大事なことを言えないままなんて、絶対に駄目だと思い知らされた。


映画館を出ると、夫からLINEが届いていた。

『記憶がまったくない』『離婚しようと言ったのは覚えてる』『離婚した方が良さそうと思ってる』

しばらくLINEでやり取りし、『帰ったら話しましょう』に至った。



帰宅すると「全部俺が悪かった」と言われ、私も「悪かった」と言った。

そう、私にも悪いところがあった。全部が全部、夫が悪いわけではない。


夫が酔う前、私は夫に嫌味ったらしく言ってしまった。店員さんとやり取りしていた際、夫に強くあたった。強い言葉なんて必要なかったのに。

たまに私は、夫や家族に強くあたることがある。そんな私を夫は嫌いで、離婚しようと何度も考えたらしい。全然知らなかった。

「本当に申し訳ない」と何度も夫に謝罪。酔ったときの状況に加え、今の心境も正直に伝えた。夫も何度も謝っていた。


やがて和解し、いつも通りに話せるようになり、お互いに何度も何度も謝り、嫌なことを伝え、「直せるところは直そう」と言い合った。

私が強くあたるときは仕事が多忙で、余裕がないときだ。最近、仕事量が大幅に増え、ストレスが溜まっていたと思う。「そういうときもあるよね」と理解を示してくれた夫に、感謝しかない。


最悪の場合、今回は殺人事件や事故に発展していた。

きっかけは大したことなくても、何が引き金になるか分からない。以前から強い恨みや憎しみがあれば、ちょっとしたことで永遠の別れを招くのだ。

私たちには子どもがいない。産む予定もない。別れようと思えば、簡単に別れられる。事実、夫は離婚の手続き方法を調べていた。


一緒にいることが決して当たり前ではないと、今回の件で身に沁みた。

そして、夫の優しさを本当に本当にありがたいと感じたと同時に、私は優しくなれていなかったと反省した。


・ ・ ・


以前、エッセイで優しさについて書いた。


優しく振る舞うと、日々穏やかに過ごせる。
優しく振る舞うと、私も周りも平和に過ごせる。


なぜ、優しくない人がいるんだろう?

なぜ、優しさを踏みにじる人がいるんだろう?

書いたことに嘘はない。

だけど、ここ数年の私は時々、優しくない人だった。しかも1番大切な人に優しくなかった。自覚がないまま、最悪な方向へ進んでいた。


振り返ると、心に余裕がなかったし、自分の感情にフタをしていた。あのウイルス、母の手術、帰省できない日々、増える家事、増える仕事、不安な将来。大小のいろんなストレスを溜めては、知らないフリをした。

夫と話し合って、いかに余裕がなかったか、自覚できた。


優しさについて、過去にこんなエッセイも載せた。

心ない言葉が人を傷つけるニュースは、昔から目に付く。言葉で命を落とす人もいる。その度に胸が痛み、自分の家族が傷付けられたかのように許せない気持ちが沸き立つ。

私自身、やさしさのない言葉に何度も何度も傷付いた。言われたほうは簡単には忘れられない。

やさしさのない言葉をひたすら浴びせる人に、私はとことん怒っている。

私自身がこう書いていたのに、夫を傷つけてしまった。夫はまさに私の言葉を簡単には忘れられず、離婚まで考えていた。


和解した夜に思い出したのが、この2つのエッセイだ。内容を全部は覚えていなかったが、「優しさについて書いた」とぼんやり思い出し、さらに反省した。優しさに浸かりたいのに、私は何をやってきたんだと。

それから、不甲斐ない自分に怒り、夫への申し訳ない気持ちが膨らみ、泣かずにはいられなかった。

夫とベッドに入ったが、一旦起きて、別室で泣こうと思った。


最初に「離婚や」と言われたときも、LINEで「離婚」の文字を見たときも、和解前に話し合ったときも、一切泣かなかった。余計なプライドで、泣いては負けだと思った。

結局、夫の前でグワングワン泣いた。あんなに泣いたのは、卒業式かお葬式以来だ。涙が止まらなかった。


涙がおさまると、また夫と話をした。

私は申し訳ないの気持ちが止まらず、夫を起こしてしまったことにも、過去のことにも、泣いたことにも、「申し訳ない」と謝った。



和解して数日が経ち、これまで以上に夫と仲良くなった気がする。

先日、「大切なことを思い出した」と夫が言い、私も深く頷いた。喧嘩はなるべくしたくないけれど、あの喧嘩はあって良かったと思う。

私も後日、「喧嘩は嫌だけど、話せてよかった」と伝えた。

夫も私も、気を遣って言いたいことを我慢するタイプだ。それを今回再認識した。

心に余裕がない日は注意しなければならないし、なるべく余裕を持ちたい。特に私はフリーランスで、休みを意識する必要がある。3日も口を利かないなんて、もうごめんだ。


現在、私のクリエイターページにはこのエッセイを固定表示している。

夫がLINEを送ったのは、このエッセイがきっかけらしい。私が映画『きのう何食べた?』の台詞で大切なことに気づいたように。

私も読み直した。まさか巡り巡って自分の言葉に救われるなんて、考えてもみなかった。今の考えを残すのは大事だなと改めて思い、このテキストを書く決意をした。


エッセイでは

大きな喧嘩は一度もない。

と書いた。今回が一度目だろう。約8ヶ月後、こんなことになるなんて…とまたもや反省する。


これからも夫と人生を楽しみたいと、もちろん思っている。そのためには、私も変わらなければならない。

私が今のびのびと過ごせているのは、間違いなく夫のお陰だ。夫が私の嫌なところを我慢していなかったら、とっくに離婚している。

まだまだ夫婦生活は長くあってほしい。

いろいろと気づけたので、今度こそ忘れず、優しい言葉をつむぎながら、優しい世界に浸かりたい。



この記事が参加している募集

サポートしてくださった分は、4コマに必要な文房具(ペン・コピック等)やコーヒー代に使います。何より、noteを続けるモチベーションが急激に上がります。