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海で湧き上がった感情の数々を

宮崎県は東側が太平洋に面している。

私は宮崎市で生まれ、育った。

海沿いにはフェニックスやワシントニアパームが植えられ、いかにも南国な雰囲気を醸し出している。


実家も海が近く、自転車で20分ほどのところにある。でも、高校生までは海に一人で行くなんて、思いもしなかった。

海に行くようになったのは、大学生で運転免許を取ってから。

友達と遊んだり、デートしたり、一人で行ったり、何度も何度も海へ足を運んだ。


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宮崎市内の海は、いくつか出かけるスポットがある。

もっとも有名なのは青島。観光地で、宮崎の旅行雑誌に必ずといっていいほど載っている。

『鬼の洗濯板(洗濯岩)』と呼ばれる岩がずらっと列をなし、小さな島を囲んでいる。異様に規則正しく並んだ岩は奇妙で立派で、何度も見ているはずなのに、毎回感動してしまう。

橋を渡ると、小さな島に行ける。島には青島神社があり、初詣で数回行った。海にも木々にも囲まれた青島神社は、どこか崇高な雰囲気がある。


景色も気分も清々しく、神社がある青島。

友達が失恋したときによく訪れたのも、青島だった。波の音に包まれながら、深夜まで語り明かした。



夫との思い出も、海にたくさん散らばっている。

宮崎港付近で釣りをしたり、青島へ海鮮丼を食べに行ったり、日南海岸をドライブしたり。最初に出会った日も海を見た。


忘れられないのは、月の道。

海から月がのぼると、海面に月光が映り、月の道のように見える。約30分堪能できる月の道は一ツ葉海岸、青島で夫と一緒にじっくりと眺めた。

何かへ導いてくれるような一筋の光は、すっと心を奪われる。



私が頻繁に訪れたのは、一ツ葉海岸の『みやざき臨海公園』。

車に乗り、一人で行くことが多かった。

入り口は二手にわかれ、南北のどちらに行くか求められる。大抵は海水浴場のある左(北)を選んだ。


水平線を一望できる北側のビーチは、時には仕事の辛さを、時には恋人を失った悲しみを受け止めてくれた。降車せず、ただただ海を眺めた日もある。

忘れたいことを、海の底へ閉じ込めたかった。

私がわりと楽観的なのは、海が身近にあったからかもしれない。


一方、南側のビーチには明るく、海面のようにキラキラとした思い出が多い。

釣り中の見知らぬ親子と「何か釣れましたか?」と話した、夏の日。花火大会と音楽ライブが同日開催され、人がギュウギュウに詰まった10月。初日の出を見に行った、元旦。

ヨットやボートを保管できる場所もあり、見ていると心がどこか華やいだ。昼間はたまに、ボートが海を走るのを目にした。陸からでも感じるほど、気持ち良さそう。


一ツ葉海岸で泣いた日も、笑った日もある。音楽に浸った日も、花火に拍手した日も。野良猫に癒やされた日も、夜の海に吸い込まれそうになった日も。

暗さも明るさも潜めた海は、もう1人の私ともいえる。


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最高気温がぐんぐんと上がって、天気予報では36℃なんて表示される。

こんな日は、無性に海へ行きたい。南国宮崎で過ごしたからか、暑い夏は海のイメージが拭えない。海から遠く離れた今も。

そう。残念ながら、今住んでいる京都市には海がない。


引っ越すまで、海がない生活は想像していなかった。

でも、海がない街でなんとかやってこれたのも、海の影響が大きい。

1人のときだけじゃなくて、友達といても、恋人といても、家族といても、いろんな感情を素直に海で出せた。その過去があるからこそ、だいぶ感情を出せるようになった今の私がいる。


青島で友達と語り明かした夜も、夫と眺めた月の道も、みやざき臨海公園ではしゃいだ夢のような日も、全部込みで私。海での時間は実にいろんな感情が湧き上がる。

雄大な海は、私が病めるときも健やかなるときも見守ってくれた。今思えば、私は身近な海に甘えていたのだろう。


地元宮崎から離れ、海の偉大さに改めて気づいた今、海に行きたい。とても行きたい。こんなに暑い日は余計に。



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