普通を捨てて、今がある。

「タイムマシンで過去に戻れるとしたら、人生のどこからやり直したい?」
と聞かれても、私はすぐに答えられない。

幼稚園児、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人。
私はすべての時期に失敗がある。失敗という名の後悔が多すぎるのだ。


小学生の頃まで人見知りが激しく、友達はいなかった。
中学生でやっと友達ができたが、遅刻魔になった。
高校生の頃、もっと勉強すれば良かったと後悔している。
1浪して入った大学は、中退した。
正社員で働いた経験がない。


長らく、「普通になりたい」と思っていた。

普通に友達と遊んで、普通に部活して、普通に大学で過ごして、普通に正社員で働きたかった。

人生をゆっくりコトコト煮込んで、ありふれた何かになりたかった。多くの人が美味しいと言う、唐揚げやオムライスやカレーが良かった。


でも、毎年毎年飽きずに何かを失敗し、私はここまで来た。

たとえば小学生の頃、もっと気軽に話せば良かったのに、私にはできなかった。学校で誰とも話さず、帰宅した日もある。家ではべらべらと話すし、弟と口喧嘩するほどなのに。


振り返ると、極端だったなあと思う。

たとえるなら、美味しくないカレーだ。水を100mlしか入れなかったり、スパイスの量が多すぎたり、隠し味を過剰に入れたり。

そうすると誰かが食べても美味しくないし、私自身も美味しいとは感じない。



転機を迎えたのは、中学2年生の春だ。

中1で仲が良かった友達3人とはクラス替えで離れ離れになり、中2の教室でとても孤独だった。流行っているドラマや音楽にかじりつき、話しかけてくれたKさんと必死で仲良くなろうとした。

文字通り、「必死」だった。

興味がないドラマや音楽に無理矢理触れ、無理矢理話すのはしんどかった。心はどんどん死んでいく。きっと笑っていなかった。

そのうち話が合わなくなって、Kさんとは距離を置いた。


幸い、私のメンタルはヤンキーな部分もある。1人でいるとき、いつからか「友達と過ごす人もいれば、1人で過ごす人もいるっしょ」と思うようになった。

でも、友達と過ごすのが「普通」とされた、中学生時代。

学校で1人で過ごしていると、悪口を言われたり、消しゴムを投げられたりした。意味がわからない。



小学生の頃も多くの時間を1人で過ごした。

中2でまた1人になったが、状況がまるで違った。我が家にはケーブルテレビが繋がっていたのだ。この違いは大きい。


宮崎のテレビはNHK2局、民放2局しか映らない。ケーブルテレビに契約すると、20種類近くチャンネルが増える。父が野球を見るために契約した。

映画やアニメが1日中流れるチャンネル、MTVやスペースシャワーTVといった音楽専門チャンネル、膨大に楽しみが増えた。父や弟とチャンネルを争う日が増えたのが唯一の難点。


友達と過ごす普通を捨てて、基本的に1人で過ごした。しかし、全然寂しくはない。むしろ誰かと遊ぶ暇などない。

部活に入らず、放課後や土日はほとんど1人で過ごした。


「仲良くするために、流行りの音楽を聞こう」なんて考えはない。ケーブルテレビのお陰であまり知られていない音楽を聴く機会が増え、私のアンテナに引っかかる音楽を聴き続けた。

時を同じくして、深夜ラジオにもハマった。親にバレないように深夜3時までラジオを楽しんだ日もある。普通の生徒ですらなく、遅刻常習犯になった。

漫画も好きで、週刊・月刊の漫画雑誌、単行本も買った。帰宅途中、書店に寄るのを覚えたのもこの頃だ。


音楽もラジオも漫画もアニメも、どれを楽しむかの軸は私にある。他人を気にして、どこか息苦しいような必死さはない。

遅刻しないために自転車を漕ぐときぐらいしか、必死さはなかった。



高校生になり、漫画や音楽の好みが合う友達ができた。

大学進学を機に、ノートパソコンを買ってもらった。世界はさらに広がる。大学では、漫画を描くのが趣味という人たちに出会った。他にも、お酒や居酒屋、カラオケ、車。世界はどんどん広がった。


大学は諸事情で中退。大学を中退した頃から、もう普通の道は歩けないと悟った。正社員にはなれない。結婚も無理かもしれない。

でも、普通の道を歩けないからといって、人生を楽しめないわけじゃない。


私は中2から変わらず、音楽もラジオも漫画もアニメも楽しんでいる。映画もお酒も読書も、とても楽しい。

好奇心が報われ、今は文章を書く仕事をしている。現在、趣味で4コマを連載中だし、こうしてエッセイも書いている。

こんな未来、14歳の私は想像していなかった。


1人でいることが普通とされなかった、学生時代。学校では何も言い返さず、ただただ耐えて、帰宅した。

家に帰って、いろんなエンターテイメントに触れてきたから、今の私がいる。今の私が人生を楽しめているのは、あの頃1人で過ごし、何かをとことん楽しむことを知ったからだ。



Perfumeの『Dream Fighter』という曲の一節が未だに刺さる。

ねぇ みんなが 言う「普通」ってさ
なん だかんだっで 実際はたぶん
真ん中じゃなく 理想にちかい
だけど 普通じゃ まだもの足りないの


私は大学を中退するまで、「真ん中」になろうとした。

友達と笑って話して、大学を卒業して、いい会社に入って、ボーナスをもらって、結婚して、子供ができて。そんな、真ん中。今はダメでも、時が経てば「真ん中」が訪れるだろうとも思っていた。


悟った通り、一般的であろう真ん中は、社会人の私に訪れなかった。正社員になったことはないし、ボーナスをもらったこともない。

だけど、無理せず生きていたら、不思議と結婚できた。夫が触れてきた音楽やゲームを一緒に楽しみつつ、私が触れてきたラジオや漫画も紹介している。

今も友達は少ないが、夫と日々笑って話している。とても楽しい。



中2の春、Kさんと仲良くなるために必死にドラマを追いかけていたのは、見えない「普通」や「真ん中」に縛られていたからだろう。

そもそも、何が普通かを決めるのは難しい。

大人になり、実にいろんな人がいると知る。仕事や結婚や出産や家族など、何が普通かを決めるのはとても難しい。



カレーだって、いろんな種類がある。

昔はご飯に茶色のカレーをかけた、カレーライスしか知らなかった。でも大人になって、キーマカレーやナンを知った。グリーンカレーやレッドカレーもある。


人生をカレーにたとえるなら、人によって水やスパイスの量が違う。もちろん、使うお鍋も具材も違う。

昔の私は、茶色の、よく見るカレーライスが理想だった。でも、玉ねぎや人参、お肉、じゃがいもを入れた茶色のカレーライスが普通で真ん中で、それ以外はダメだなんて決まりはない。

「絶対にほうれん草を入れる」と言う人もいるし、「カレーはナンで食べるのが普通」と言う人もいるだろう。


自分が「美味しい」と思うカレーを作るように、人生も自分が「楽しい」と思えるように過ごすのが理想だ。

誰かの普通を無理して追いかける必要なんてないし、普通は自分自身で決めればいいと、あれから24年経った私は思う。


私の普通は、自分らしくいること。
つまり、それが私の理想でもある。


学生時代の友達が少ないのも、中学生の頃さほど勉強しなかったのも、大学を辞めたのも、私の失敗によるものだ。

強がりでも何でもなく、失敗があったから今が楽しい。

がんばって無理して、たくさんの友達に囲まれる人生も選べただろう。行きたくない大学へ通い続け、卒業し、大企業で働く道もあっただろう。

だけど、やっぱり、私は余計な無理をしたくない。

周りが言う普通を捨てたから、今の私がいる。失敗と思えても、自分らしくいられない場所にはいたくない。心から自分の人生を楽しみたい。


タイムマシンで過去に戻れるとしたら、泣いていた私を連れ出し、一緒にカレーを食べに行き、「周りが言う普通から逃げてもいい」と言ってあげたい。



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