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矢印はどこに

2年ほど前にであった言葉

矢印を自分に向ける

問題は他者や外側ではなく自分のなかにある、ということ
自分に向ける、自分に向けると思っていたけれど
最近やっと矢印がずっと外を向いていることに気づいた

矢印の向きについてのハッとさせられた出来事を
なんとnoteに以前綴っていた。笑

夫への深い嫌悪感。笑

いつものように(いや実際はもうほとんど子どもたちのお風呂を手伝うことはない)
浴室から呼び出しボタンを押して、子どもたちの体を拭いてくれないかと願った。
何度押しても来ない。
子どもたちが何度呼びかけても来ない。
これは寝たな、とイライラしながら諦め全ての世話を一人でした。

そこで一番最初にリビングに戻った子が言った言葉が「パパいる」だった。
普段なら沸点最高潮。
なぜ、用件があって呼び出しているのに返事もないのか、
子どもたちの言葉さえ無視するのか、
なぜ家にいるのに育児をしないのか。
文字を打っているだけでもイライラするけれど(笑)
その時はなぜだかそこで終わらなかった。

さっきまで外で、会社で仕事をしてきていたではないか。
帰宅したら、パパと遊びたい子どもたちの相手をしてくれていたではないか。
子どもたちが私と入浴している間ゆっくりしてなにが悪いのか。
家で寛げなくてどうする!!!

なぜかそんな思いが飛び込んできた。
私だってすぐ呼び出されて「せっかくの一人時間が・・」となるじゃないか、と。


初めての視点。
自分が面白かった。

きっとこんなことは日常にゴロゴロ転がっていて、
わたしは日常的に夫に敵意を向けているんだ。意識せず
だったら、あの態度だってわたしにもなにか要因がある。

その時に、初めて理解した。
矢印を自分に向ける ということ。

この矢印で他者を突くのではなく、自分を問うていきたい。
まだまだ未熟だけれど、少しずつ矢印を自分に戻していきたい。

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