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緑のケーキ、憧れの味

 緑のケーキが食べたい!

 人が食べているものが美味しそうに見えるのはこの世の真理だけれど、それが自分の知らない食べ物だったらなおさらだ、と思う。子供の頃に読んだ絵本の中に出てきた美味しそうな料理やお菓子のイラストは、今でも鮮明に思い出せる。

 ナルニア国物語のターキッシュディライト、赤毛のアンのいちご水、長靴下のピッピのジンジャークッキー、クリスマスプディング、アップルシュトゥルーデル、収穫祭のターキー、などなど。本や映画に出てくる珍しい食べ物はいつだって特別で、キラキラ輝いていて、そしてとびきり美味しそうに見える。

 そんな私の憧れの食べ物リストの中にここ数年で追加された食べ物がある。その名もガトー・ヴェール・ヴェール。ヴェール(vert)はフランス語で緑なので、無理やり訳すと緑&緑ケーキ?二つの緑の正体はピスタチオとほうれん草で、見た目も断面も緑一色のちょっと変わったケーキだ。そして、何よりこのケーキが私を惹きつけたのは、それが画家クロード・モネのお気に入りのケーキだった、ということ。

 モネは言わずと知れた印象派を代表する画家で、きっと誰もが一度はどこかで睡蓮や印象・日の出といった彼の作品を目にしたことがあるだろう。私もモネは結構好きで、いつか絶対彼が住んでいたジヴェルニーに行きたい、と密かに野心を燃やしている。モネについて詳しく話すと確実に長くなってしまうので控えておくが、要するに私にとってガトー・ヴェール・ヴェールは「推しが好んで食べていたなんかよく分からないけど美味しそうなケーキ」なのだ。食べたくない訳がない。絶対食べたい、いや、食べる。

そう誓ったはいいものの、ガトー・ヴェール・ヴェールなんて聞いたことも見たこともなかったし、どこで食べられるのか見当も付かなかった。ネットで検索してみても販売しているお菓子屋さんのページは出てこないし、そもそもこのケーキに関する情報がやたらと少ない。ちなみに私がガトー・ヴェール・ヴェールを知ったのは「グレーテルのかまど」というEテレの番組だった。この番組は普段テレビを見ない私が熱心に鑑賞している数少ない番組のうちの一つだ。俳優の瀬戸康史さんが毎回様々なスイーツを作るのだが、冒頭で書いたような本に出てくるお菓子の再現レシピや著名人のお気に入りスイーツなど、毎回チョイスがとにかくお洒落で魅力的なのだ。見たことがない人には是非お勧めしたい。毎週月曜夜10時放送です。

http://www.nhk.or.jp/kamado/recipe.html

 そしてこの番組がすごいのは、殆どの回でプロのパティシエ監修の番組オリジナルレシピを作り、それをホームページで公開しているところ。いいんですか?!と思ってしまうくらい親切だ。ありがとうございます、一生ついていきます。ということは、そう、美味しそうだな~、作ってみたいな~と思ったレシピは自分で作れてしまうのだ。ケーキがないならケーキを作ればいいじゃない。かくして、食べたことのない緑のケーキを作る挑戦が始まったのである。   ☟レシピのリンクです。

https://www.nhk.or.jp/kamado/recipe/202.pdf

 緑のケーキを作る

 お菓子作りでまず確認するべきは道具と材料だ。今回結構大変だったのは材料が多かったこと。ピスタチオ、レモン、フォンダン、あんずジャム、キルシュ(さくらんぼのお酒)など、家に常備していない(そして一つ一つそれなりに値が張る)ものを買いそろえるのは地味にきつかった。棚に並んでいる目当ての商品が思いの外高かったときは思わず少し戸惑ってしまう。この量を使い切るのか?こんな少しでこの値段するのか…これだけ揃えて上手くいかなかったら嫌だな、等々。しかし、今回は普通のお菓子作りとは訳が違う。まだ見ぬ憧れのケーキを作るのだ。妥協は許されない。こういう時に肝心なのは狂った心とテンションを最後まで失わないことなのだ。途中で正気に返ってはいけない。そう自分に言い聞かせ、無心で品物をカゴに放り込んでゆく。材料の他に18cmの丸型も買った。

 材料が揃えばいよいよケーキ作り開始だ。今回のケーキはとにかく工程が多い。

①ピスタチオペーストを作る ②ほうれん草を裏ごしする ③スポンジ生地を作る ④ピスタチオクリームを作る ⑤ピスタチオフォンダンを作る ⑥あんずジャムを煮詰める ⑦ケーキを組み上げる

作業はざっとこんなところだ。クリームやらフォンダンやらを一から作らなければならないのが結構大変で、デコレーションケーキの有難みを噛み締めた。個人的には卵を合計5個使ったのが一番衝撃というか、罪悪感を覚えたポイントだった。ケーキ一つにパックの半分も使ってしまうとは…!お母さんごめんなさい。それと、湯煎と小鍋を使う工程が多かったのでやたらと道具を使い、洗い物が増えたのも大変だった。手際の良い人ならパパっとこなすのだろうが、あいにく初めて作るものだしなかなか複雑な工程だったので台所のエントロピーは増大し続ける一方だ。

 今回明らかに失敗したポイントが一つある。それはピスタチオの量が足りなかったことだ。皮なしのピスタチオが近所に売っていなかったので皮つきのものを剥いて使ったのだけれど、皮込みの重量で買っていたので皮を剥き終わったピスタチオはレシピに記載されているよりも30gも少なかった。あまりにも頭が悪く幼稚なミスに恥じ入り作業を放棄したくもなったが、仕方ないので他の材料の量も何となく計算して減らし調整した。そうしてピスタチオペースト自体は無事に作れたのだが、今度は少なめに作っていたことを忘れてレシピ通りに使っていたので、最後になってフォンダンに混ぜる分のペーストが残っていないことに気付いた。愚か……あまりにも愚か!!!こればかりはどうしようもないので、ピスタチオ風味ではないフォンダンを使うしか手はなかった。ほうれん草だけだと緑があまり鮮やかにならないので、苦肉の策で食紅を使うことに。緑の食紅を買っておいた過去の自分を褒めてやりたいと思う。

 ちなみにフォンダンも売っていなかったので自分で作ったのだけれど、マシュマロ一袋に粉糖を200g(と水を大匙1)というなんとも恐ろしいレシピだった。歯の痛くなる甘さだったが、レモン汁を入れると一気に爽やかになったので我々の味覚はこうやって日々騙されているのだな……と恐ろしく感じた。砂糖の摂りすぎには気を付けましょう。

スポンジが焼け、クリームが冷蔵庫で冷え、シロップとあんずジャム、フォンダンが揃えばいよいよ、ようやくケーキの組み上げだ。スポンジを三枚にカットして断面にシロップとクリームをたっぷり塗る。実はスポンジの表面が若干焼けすぎていたのでここに来て初めて気づいたけれど、スポンジはうっすらと緑で、切るとふんわりとピスタチオとキルシュのいい香りがした。我が家では数年前に初めてお菓子作り用のはけを買ったのだが、これは予想以上に便利だし、何より楽しい。はけなんてお菓子作りか図工や美術の授業でしか使わないので、特別感があってワクワクする。焼き菓子の表面に溶き卵をはけで塗る作業は、幼い私の憧れだった。

クリームを挟んでスポンジを重ねたら、ケーキの周りにあんずジャムを塗る。しばらく経ってジャムが乾いてきたら今度はフォンダンを塗るのだが、これがまた難しかった。「硬さを調整して」とレシピには書いてあったけれど、どの程度の硬さが適切なのかよく分からないので適当にかけてみたところ、どうやら緩すぎたようで数分後にはほとんどのフォンダンが流れ落ちてしまう。仕方がないのでお皿に流れ落ちたフォンダンを掬ってまた上にかける作業を数回繰り返した。フォンダンがある程度固まれば、これでようやく完成だ。

 緑のケーキができた

一連の作業はものすごい重労働で、ずっと前かがみの姿勢だったので背中がバキバキになってしまった。けれど、大変な思いをしてたっぷり四時間ほどかかって完成したケーキには、多少不格好でも愛着が湧くというものだ。

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肝心の味はと言うと、奇抜な見た目からはあまり想像がつかない、爽やかで上品な味だった。ピスタチオの香りと味が一番強いのだけれど、レモンの皮やあんずなどのフルーツの風味のおかげでしつこくなりすぎず、食べやすい美味しさだ。モネはこの緑のケーキを、自慢の庭の緑に囲まれながら食べたのだろうか。自分の作ったものが果たしてモネが好きだった味なのか否かは神のみぞ知るが、とりあえずはそれらしきものを食べられたので良しとする。それはそれとして、いつかプロが作ったものも食べてみたいけれど。フランスに行けば食べられるのだろうか。

 なんとなくまとめ

 お菓子を作る、という行為は本質的に楽しさや幸せと結び付いていると思う。ご飯は必要に迫られて作るものだけれど、お菓子はそうではないから。生きるために必要な栄養ではないけれど、そういう余剰、プラスアルファのものにリソースを割けることこそが人間の特権ではないかと私は思っている。そういった意味で人間らしい生活がしたいですね。

 最後に唐突に本のおすすめをしようと思う。原田マハ先生の「ジヴェルニーの食卓」。この本は画家をモチーフにした短編が幾つか収録されている本で、表題作の「ジヴェルニーの食卓」は晩年のモネの生活を料理が得意な彼の娘の視点で描くお話で、この中にガトー・ヴェール・ヴェールも登場する。出てくる料理が全て美味しそうでとても温かなストーリーなので、気になる人は是非手に取ってみてほしい。ちなみに、同書に収録されている「うつくしい墓」もとても気に入っている短編だ。本の書評を見つけたので貼っておきます。subaru.shueisha.co.jp/books/1306_1.html

 随分ダラダラと長くなってしまったけれど、要するに食べ物を通して物語や人物に思いを馳せるのは楽しいな、ということでした。では今回はこのあたりで。最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。






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