死後の世界を理解する2

死を迎えたたましいは、まず幽現界に向かいます。現世と幽界の間にあり、幽霊(幽体霊)はここに存在します。つまり未浄化霊が存在する場所です。前回も説明した「執着」が大きいとここに長く存在してしまうのです。よく「49日までは納骨しない」と言われていますが、幽現界にてお礼回りをする期間と昔から思われたいたようです。

ですから死後の世界を理解して、死をご褒美としてとらえて、人生を全うしたたましいは、幽現界に留まることはないでしょう。スピリチュアリストであるならば、簡単な挨拶だけ済ませて次の場所へ生きたいものです。

幽現界は現世と重なっている場所ですから、肉体を失った者にとって居心地が良いとは言えないでしょう。苦しみ、悲しみ、心配などの感情を有したまま意味もなくただ彷徨うのは、客観的にみて時間の無駄のように感じますが、それも本人の学びであり、浄化するために必要な時間なのです。

肺がんで苦しんでもさえタバコを止められない人。肝硬変になってもお酒を止められない人。人の執着は他人が何を言っても取り払うことは出来ないものです。本人が気づくしかないのです。それは生きていても死んでいても同じ事。

ただし、幽現界に留まっているたましいが皆、自己中心的な考えであるのかそれは別で、利他愛の執着もあるのです。それは幼い子どもを残して、旅立たなくてはならなかった、親のたましいです。「天国からの手紙」というテレビ番組でも紹介されていました。子を思う親の愛として、なかなか幽界に旅立つことができない。「もう少し、ここに居させて」と霊媒である江原氏に訴えていました。

実はだれでも死んだ後、お迎えが来ます。自分にとって馴染みの方が来る場合が多いようです。お迎えにきた人に「早くこっちにおいで」と言われたのかもしれませんね。「いつまでも、ここにいてはだめ、行くべき場所へ行ってください」と江原氏は伝えていました。実は次の幽界からでも、見守ることは出来るし、幽界には早くに亡くなった子どもと、子育て中に亡くなった母親が一緒に過ごす場所があり、つまり子育てができる環境があるようです。

しかし、心霊スポットが日本にもたくさんあります。さすがにそれらの場所で彷徨っている幽体霊を説得して浄化してもらうことは難しいでしょう。専門的に言うと人霊や低級自然霊が集まって、大きなパワーを持っているからだそうです。そしてそれらの場所は、ダムによって沈められた場所だったり、人間の業が深い場所が多いです。つまり、生きている人間の欲などの悪想念がそれらの彷徨っている霊たちの浄化を妨げているとも言えます。なぜなら、類魂の法則であり波長の法則があるからです。

産業革命後、資本主義や新自由主義など、貧困問題や環境問題を無視してお金を儲けることに躍起になって現在に至っています。先進国の富は途上国からの搾取によって成されていると、日本人は分かっているのでしょうか。1房100円で売られているバナナを作っている農民の給料はいくらでしょう。どれだけ農薬や除草剤を使用して効率化された農園で作られているのでしょう。

豊かさを求めてきたのに、残念ながら安楽死や自殺が横行している現在。幽現界が賑やかになるのは必然のように思います。

まもなく東日本大震災から10年を迎えます。震災後に幽霊(幽体霊)の目撃談が多かったようです。

「亡きあの人に会いたい」大切な人を失った悲しみは、想像を絶するのだと思います。しかし、遺体はみつからずともあの世はあって、いつか会える。さらに言えば、聞えたり感じたりすることは出来ないかもしれないが、亡き人に伝わっていることを忘れてはならない。だから、亡き人に恥じぬ生き方をしなくてはならない。

亡き人が心配して浄化できない状態にしてはならないということ。つまりそれが愛なのです。亡くなっても愛は通じるのです。






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