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母と娘の 共依存からの脱却

私はいわゆる良い子だった。

学校での成績もまあまあ良くて、聞き分けも良く
生徒会に先生から推薦されてしまう感じで、
生徒手帳から飛び出したような
絵に描いた至って真面目な普通な子だった。


部活も、志望校も全て母さんの喜ぶものを選び
好きな人も、母さんがすこし苦い顔をすればすぐに諦めた。

今思うと自分というものが全くなく
当時はそれが正しいと本気で思っていたのだ。

転ばぬ先の杖


これが母さんの口癖で、彼女なりの愛情だったのでしょう。
私も、そうする事で母さんを喜ばせたいと思っていたし
実際にお母さんを安心させることができた。

私は自分の人生を生きる事よりも
母さんが心配しない様に、不安にならない様に
安心していられる事を選択して生きていた。



就職も何もかも、母さんの言う通りに。


少しでも嫌だなと思ったことがあっても
母さんの考えは曲げられない、私の思いは届かない。

だから諦めなければならない。
そう信じて疑いもしなかった。


母さんが怒る、母さんが泣く、母さんが不安定になる事は
私の人生を脅かされる位、とても重要なことで
自分のしたい事よりも、まずは母さんを徹底的に優先。


そんな自分を生きれてない最中、
私は26歳のとき、とある人と出会います。


その人は子供の頃にご両親と諸事情で離れていて
親という存在が人生の中で
あまりウエイトを占めていない人、
私にとって今まで出会ったことがない人だった。

いい意味で誰の影響も受けておらず
誰の考えにも染まってない人


その人と接すると
あまりにも自分との世界観の違いに
怒りさえも覚えることもあり
その人とのご縁を通じて私が気づいたのは
私は、ありとあらゆる経験を拒否し、
体験、経験を避け、ものすごく狭い世界の中で
生きていたのだという愕然とした事実だったのだ。


どうして自分のしたい事をしないの?


こんな単純な質問に答えられない自分が
腹立たしくて、不甲斐なくて、
もう、怒りなのか、悲しみなのか
区別がつかない位取り乱したのを覚えている。


そんな事無理やもん。
できるわけないもん。
勝手な事したら怒られる。
したい事したくても許されないもん。
母さんが悲しむし、怒るから。。。


小さい頃から、
危ないからというお母さんのツルの一声で
全ての事を諦め
海外旅行も諦め、職場が遠いからという理由で
やりたかった仕事も諦めてきた。


文字にするとほんとに情けないとしか言いようがないけれど
これがその時の私の精一杯だったのだ。


一見不幸な感じもするけれど、
私は、安全で、安心出来るところにずっといる
という事を最優先していたのだと今思えばそう思える。
自分で選択し、行動し、考え、そして経験することを、
失敗したり、挫折する事を絶対的に避けたかったのだろう。


なんという怖がり。


今思えば、
出来ない、自分を、失敗を受け入れられないという
自分のマインドが引き起こした流れだった。


私は、母さんという存在を利用して
自分で決めない、
自分の人生に責任を取らない
という事を、自分で決めてきたことに
気づかされ愕然となったのだけど。


母さんがいる事で
全てを母さんのせいに出来る
被害者でいられるのだという事が
あまりにも居心地が良かったのでしょうね。


何があっても
母さんのせいだから。
そう恨むことで私は正当化されていったのだ。


親からの束縛、呪縛で自由が無いと思っていた私は


実は、それがある事で
守られ、安心出来て
何かあってもそれを人のせいに出来る
失敗を回避できる
とても居心地の良い場所にいたのだと思う。


そんなこんなでなんとなく
自分と母の関係性に違和感を感じながら
諦めていた夢だったけれど
その数年後、何が何でも私は自分の夢を叶えたいと思う
ようになった。


もちろん母さんは大反対。
家を出て、故郷を離れ、遠い場所で自分の夢を叶える事は
母さんにとっては淋しくて、不安で、
心配で仕方がなかったのだろうと思う。


だけど、呪縛から簡単に抜け出すことができたのだ。



母さんは先に死ぬ。
私よりどうやったって先に死ぬ。
母さんがいなくなった時に
私は自分の人生を生きれるだろうか。


ずっと守ってもらっていたのに
母さんがいなくなって
私は自分で立てれるだろうか。


被害者なのに、加害者がいなくなったら
私は何になってしまうんだろう。


そんなことを考えるようになったのだ。



そして、守られる、被害者でいる事をやめよう、そう思って
全て自分で選択し、決断し、
どんなことになっても受け入れる覚悟が出来たので
私は自分の夢に向かって進みだすことにしたのだ。

母さんの言う事が聞けないのなら
親子の縁を切るとまで言われたけれど
私はそれで良いと思った。


そのくらい覚悟があるのか?と
もう一人の自分から念を押されたような気もしたから。



きっと私が生き生きしていることを
この先の未来、きっと母さんは喜ぶだろう。
そんな確信があったからもしれない。


正直、母さんに許してもらえない事よりも
自分のこのわき上がってくるワクワクを
捨ててしまうことのほうが何倍も苦しいと思ったのだ。


どんなことになろうと、
きっと後で私が幸せそうに、笑っていれば
きっと母さんも喜んでくれると確信ができたから
私は前に進む事を決めた。


親の呪縛は一生取れないと思っていた。



ずっといい子でいなければならないと思っていた。


一度縁が切れてしまうと二度ともとには戻らないとも思った。

それでも、私は自分の人生を自分の足で歩き出すことを決めた。


30歳の時、人生で初めて親に反抗して
自分で選んで決めたこと。

その道はまだ続いている。


#自分で選んでよかったこと


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