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それはもう不倫だから

どこから不倫でどこから不倫じゃないか論争は
いつの時代も賑やかに行われているが
私の基準はちと違う。


〇〇したら不倫
とか何か言動が基準とか
そういうのではなく



こいつ、不倫してんじゃね?



と思わせたら不倫だと思う。
要するにそう思わせる何かきっかけというか
要素があるからである。



夫には常々、不倫したとしても
絶対に私に気づかれないようにしろ
絶対に墓場まで持っていってくれと言っている。



私が勘繰ってしまうような
ヘマもするなと言っている。
すると夫は「任せんね!」と大見得を切る。
墓場まで持っていく自信があるらしい。



気づかねばいいのだ。
人はたとえ大切な人であっても
言いたくないこともあるし
共有できないことだってある。


それならそれを悟られなければいい
気づかれなければいい。
それがほんとに大切な人への
優しさだと私は思う。


聞く人が聞くと
なんてことを!
という人もいるかもしれないし
大切な人に嘘をつきたくない!
という人もいるかもしれないが
「嘘をつきたくない」というのは本人の都合であって
聞かされた方は一生それを背負って
記憶の片隅に抱えたまま生きていかねばならなくなる。



知らなくていいことは
知らない方がいいのだ。



なぜこんな思考に
私が行き着いたのか、それは



あ、自分が把握できてないものって
この世に存在してないのと同じだな。
自分が知らないことって
起きてないことと同じなんだ。
世の中の全てを知ることなんてできないし
わかることなんて無理だ。


しかも相手のことなんて
全部わかりようがない。
脳みその中まで把握するなんて無理だ


見えてるもの、感じているものを信頼して
自分で選択していくしかないんだ
それなら自分が見えたものに
一生懸命、命を注ごうと思ったのだ。



不倫は私が気づいてなければ
起きてない。

だから夫にもそれは口酸っぱく伝えている。
頼むからバレないようにしてくれと。


ちなみに私はものすごく勘が働く。


結婚する前に付き合っていた
恋人の浮気を(夫ではない)
なんの煙も立ってないところで
3度も暴いたことがある。偶然。なんとなく。


なんとなく勘が働いてしまう
気づいてしまう自分の才能に
何度辟易したかわからない。


どうして気づいてしまったんだろう・・・



恋人に限らず、目の前の人が
嘘をついたり、誤魔化しているのもすぐにわかる。


そして、わかると悲しいのだ。


大切な人だとおもうなら
余計なことは言わなくていいし
知らせる必要もない。


ただし。



ただしがつくけれど。



いずれバレそうなら
それはもう自ら潔くカミングアウトするべきだ。
バレるヘマをするくらいなら
潔く自分からカミングアウトして
謝罪すると良い。



バレないと確信が持てることしか
隠し事はしてはいけない。
これは私の座右の銘でもあるけれど。



だから
こいつ不倫してんじゃないの?
とちょっとでも不信感が湧いてしまったら
それはもう私にとっては不倫。


意外とね。色々人は気づくんですよ。
バレてるけど言わない。
なぜなら、知らないことで
済ませておきたいから。


だから、不倫はね、
してるんじゃね?って思われた時点で
もう不倫なのだ。


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