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詳しくないと好きだと言っちゃいけない風潮に負けない。

オタクとかマニアとかそういう言葉が
当たり前になってきてて
考察youtubeとか、話題の作品が出るとそれを深掘りして
独自見解で繰り広げる景色を最近よく見る。


そうしなければ語ってはいけないのかな?
と無言の圧力を感じる。


もちろん自分に起きている感情の動きは
言語化できた方がいい。
だけど、人の作品を人の気持ちになりすまして
あーだこーだと
解析分析してやっと公式ファンみたいな扱いは
ちょっと悲しい。


国語のテストにもよく出てたけど
作者の気持ちは?みたいなのって
結局のところ「わからん」しかない。


だって本人じゃないもん。


だから、作品は見て自分が何を感じたか?
が重要だと私は思ってる。


あ〜このタイトルってこういう意味だったんですねとか
だからこれなんですね、とか
もちろん制作側の意図を汲んで
それに乗っかるってのもありだけど
じゃなくてそれを見て、自分の中に何が起きたか?
どんな感覚感情が広がって
今後の自分の未来にどう活かせそうか?
みたいな方が私は考えてて楽しい。


まぁこの辺りもここの好みということで
作者や制作側の意図を分析考察するのも
また一つの楽しみ方だと思うから。

こころの声


とはいえ、そうしない人に向かって
それをわかってなくて「好き」はないんじゃない?とか
このタイトルの意味分かってなくて
ファンとか言っちゃってんの?とか

そういう誰かが誰かをジャッジするような
そんな風潮はとっとと廃れてしまえばいいと思う。


私ではないが
むかーしの知人がかなりの映画マニアだった。

映画監督のいろんな癖とか趣味嗜好とかを調べ尽くして
それをどう作品に生かしているかとか
なぜあの主人公があの場で
あの言葉を言ったのかは、あの作品と繋がって云々カンヌンとか

そういう膨大なデータを蓄積して
それを披露するのが好きな人だった。


で、それを知らずに該当する作品が好きだ
という人がいようものなら
「そんなことも知らないで好きとか言っちゃってんですか?」
的に見下ろしたりしてた。


そうか、好きというなら
そこまで極めなきゃいけないのね?
そこまで知らないと好きって言っちゃダメなのね?
ファンの間ではそれは失礼になるのね?


納得できないけど
なんとなく重圧を感じて受け入れざるを得なかった私は
容易に人前で何かを「好きだ」ということを控えていった。



その時は言語化できてなかったけど
不快で仕方がなかった。


が、ふとその時自分に何が起きていたのか
時を経てようやく咀嚼できて理解ができた。


人の好きに戸は立てられない。
人の好きを人は邪魔してはならない。


楽しみ方は千差万別だ。
あっさい楽しみ方だって楽しみ方なんだし
突き詰め方は人それぞれだ。



絵が綺麗〜
なんとなく言葉の響きが好き!
でも十分「好き」の類に入れていいと思う。


ただし、なぜその絵が好きなのか?
なぜ綺麗だと感じてるのか
なぜその言葉の響きが好きなのか?
そういう自己理解はしておいた方が
自己肯定感や自己受容感は格段に上がると思う。
人のためではなく自分のための自己理解だ。



どんな理由であれ好きは尊いし
そこを誰も邪魔しちゃいけないと思う。


他人の作品を色々解釈して
分析して考察して得られた知識は
自分の中のトリビアとして
取っておけばいい。


機会があれば披露すればいい。


そんなところで人にマウント取らんでよろし。
と切に思います。

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