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文章からはいろんなものが漏れている。

匂いも音もしないのに
文章からは確実に何かが漏れている。


それを無意識の領域で受け取って
何かしらの反応が起きているのでは?
と考えたことがある。



同じようなことを書いているのに
なんでか印象が全く違うってことないだろうか。
美しい表現をしているのに
一方には凹凸を感じず
一方には無限の広がりを感じたりすることだってある。


これは、文字だけではなく
現実社会でも起きてる気がする。


同じことを言っているのに
この人は大丈夫なのだけど
こいつは….みたいな・・・


キャラとかそういうのではなくて
もっと別のところに理由がありそう。
そんな気がしてならない。



ところで、
人が他人に嫌悪感を感じる理由の上位に
「決めつけ」と「押し付け」がある。


確信を持って書いてるわけではないが
多分、多分だけど
その人の書く文章には
その人の在り方とか生き方みたいなものが
自然とだだ漏れてるような気もする。



「うわ〜なんかやだ」

「なんか素敵」


も、少なくとも
会ったことも話したこともないその人の
これまで生きてきた在り方や考え方
価値観みたいなのもが
てにをはを含めて文章に
だだ漏れてるように思えて仕方がない。


素敵な文章って
もちろん表現とかそういうのだけじゃなくて
なんていうか、そっと寄り添ってくれる
そんな感じがする。
丁寧な感じがする。


投げつけられてない
そっと差し出してくれるようなそんな優しい文章。


個人的主観だけど
そういうのを私は「素敵だな」と思うようだ。


言葉強めでちょこっと反社的な匂いのする文章でも
投げつけられてない
そっと差し出された感があるものには
嫌悪感は感じない。



だけど逆に
すごく丁寧で美しい文章だけど
めっちゃ豪速球な感じで
投げつけられた感がある文章は
読んでてなんだかもやっとする。


多分、全く言語化できてない
この部分において
少なくとも私は何かしらの反応が起きていると思う。


こういう表現嫌いなんだよね。


と思ったとしても
それが別の人が言ったところで
嫌悪感を感じない場合もある。


うん。難しい。



このヘアスタイルめっちゃ嫌。
って思ってても
好きな人がそれをしていると
かっちょええってなる場合だってある。


要するに
やっぱりその人なのだと思う。


普段からどう生きているかは
文章に現れるし
これまでどう生きてきたかも
文章から漏れていく。


人生観が垣間見れる
押し付けない、優しいあり方に
触れることができるそんな文章を
書いていきたいと思った。



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