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気持ちが萎えるコメントを見てしまった。

フォローをさせていただいている方の
今日のnoteを読みにいくことも、
私にとっては優先順位が高く大切な時間なのだが



とある方の今日の記事が
それはそれは共感できる内容で
わっかるぅーーーーっと
鼻息ふんふんしながら読んで
コメントさせていただこう!!!とコメント欄に行ったら
先客がいらっしゃった。


読むんじゃなかった。


めっちゃ気分が萎えた。
そんな内容だった。


アンチではない。
なんというか
真っ向からその人の生き方を否定するような
しかもそれは悪気がなく
なんなら良きアドバイス的な感じで書いているのも
なんだかアンバランスだった。



というより、
なんで私はこのコメントを見ることになってしまったんだろうか?
文章だけを見て、いいねして、
気持ちよく次の方のページに行くことだってできたのに
どうしてこのコメントが目に入ったんだろう。


しばらく怒りに似た感情が
湧いてきたのだけれど
いや、そうだ、この萎えコメンター(コメント書く人)は
私を中庸に戻してくれたのかもしれない。


同じ気持ちでnoteを書いていたひとに
かなり共感をして
自分の立ち位置みたいなのを再確認できたところだったけど
じゃなくて、そうじゃなく見ている人もいるんだよ
っていうのを教えてくれたのかもしれない。


逆に私が熱い気持ちでこのまま
萎えコメンターに出会わず
意気揚々とnoteを書き続けてたら
一人暴走天使になっていたかもしれない。



そしたら予想外に
とても気持ち的に残念なことが起きたかもしれない。


でも萎えさんが
水を刺すようなことを言ってくれたから
(ちょっと角がたつ言い方)
私はちょっとだけ中庸に戻れたのかもしれない。


何事も偏るのはよろしくない。
思い込むのもよろしくない。


フォロワーさんが多い方だから
きっとコメントしたての萎えさんに
もしかしたら何かしらの反応に似た
流れ弾がやってくるかもしれないけど


まぁそれはそれで
必然だよね。


私がこのコメントで
気持ちが萎えたように。



萎えたけど
でも大事なことも見えたから
まあいいか。

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