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一言多い人は一言多いことに永遠に気づかない

たまにいる。


それ言わんでよくね?ってことを言う人。


でも本人はまるで気づいてない。


この言わんでよくね?を言ってしまう人は
一種の病のような気もする。


要するに、それを自分が言った後に
どんなことになるのかが
想像が出来なさすぎるんだと思う。


まずそう言う人は


・自分以外の他人にあまり興味がない
・人との軋轢が起きた際ほぼ逃げてきた
・嫌なことには蓋をする
・自分の価値観だけしか世の中に存在してない


みたいなことが共通項で
挙げられるのだけど(当社比)



人と揉めた時に
何でその人が嫌な気持ちになったのかとか
どうしてそれが嫌なのかとか
他人の「不快」に対して
掘り下げたことがないため
何で人が不快になるのか?
どんなことが不快になるのか?
などに全く引き出しを持ち合わせてない。


よくわからないけど
勝手に怒った。とか


私は普通にしてたのに
キレられた。とか


そういう単純に
相手が「おかしい」と言う理由で
「よくわからないけど」と枕詞をつけて
自分とは一切関係ないというかんじで
他人との間にシャッターを下ろし、
永久追放してきたからだと思う。



だから他人への想像力が
物凄く乏しくて


相手の世界観とか
相手の生きている環境とか
背景とかそう言うのがわからないから
言葉も選べずに


それ言わんでもよくね?


と言ってしまうのだと思う。


社会とは他人との共存である。
嫌な人とは付き合わなくてもいい!
と言う考え方もあるが
全員が全員、自分とピッタリ、
と言うわけにもいかない。



自分の好きな人が
お気に入りのお店のスタッフであるかどうかは別だし
取引先が自分と同じ価値観かどうかもわからない。



自分の好きな人の仲のいい人が
自分とも合うとは限らない。



いろんな人がいるから
社会が成り立っている。



そこで好きな人とだけ付き合う
というのは、いささか無理があるように思う。



だから、やはり社会の一員であるからには
他人への配慮はとても大切であり
身につけねばならないと思う。



個性が際立っているから
失礼なわけでもないし
超絶クリエイティブで変人だからと言って
社会性がないわけでもない。


他者を尊重するから
自分も尊重される。


人と関わるなら
最低限相手への配慮は必要になる。


これ言ったらどうなんだろう?


ともしわからない場合は
黙る。ではなくて



これ今どんな感情が湧いてきました?とか
これ聞いたら、どんな印象受けましたか?とか
これを言う人って、どう言う人だと思いましたか?とか


そんなふうにコツコツデータを取っていくしかないよね。

じゃないとコミュニケーションも上手くなれないっしょ。

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