誰にも会えなかったコロナ禍、だからこそ子供に教えたかったのは「助けてくれる大人がいること」

我が子の陣痛がはじまり、分娩室にはいったとき
大きな病院の別井の場所では別の騒動が起こり、一気に何かが動いていた。
 
コロナにかかった疑いのある患者が運ばれたのだ。
 
我が子を出産した大病院は、私の次の人くらいまでが
立ち合いOKでそれ以降は確か立ち合いも面会もNGになった気がする。
 
わたしも、翌日から夫でさえ、両親でさえ
面会を許されなかった。
それはそれは孤独な時間だった。
 
それでも、なんとか心を保っていられたのは、
夫も両親もマメにメールをくれていたというのもあるけれど
 
お友達や仲良くしてくれる人たちがいたおかげだ。
120%そうだ。
 
私のお師匠さんたちは、妊娠中に
「ニンゲンとはどういう種族であるのか」ということを
教えてくれていた。

ニンゲンとは、たくさんの人たちとつながって
助け合って生きていく種族だよ、と。
 
だから、我が子の妊娠が発覚してから
ずっとお願いをして祈っていたのは
「この子に、あなたはたくさんの愛に包まれていて、
たくさんの人が見守ってくれているよと
ずっと体験して体感していかせたい」
ということ。
 
孤独とははるか遠く、
本当に困ったら、近くに真剣に助けてくれる大人がいるんだって
信じて生きていってほしい、と。
 
それを無残にも引き裂いたようなコロナ禍のスタートに思えた。
 
が!!!

私は信じた。

それは必ず終わり、収束し、
いつも見守ってくれたり、直接力を貸してくれる大人がいると
我が子がはっきりとわかる日が来ることを信じた。
 
生まれて数か月後、ZOOMや、
その他のオンラインでおしゃべりできるアプリがいっぱいできた。
 
我が子は画面の向こうに笑いかけてくれる人がいることを
認識している。
 
「お友達と話しているんだよ」というと
よじ登ってみようとしてきた。
 
そして、いま、
だいぶコロナのこともおさまりつつあって
一番助けてくれる近所の仲良しさんや、
よく遊んでいたお友達を
我が子は「いつもお母さんといるおとなのひと」と
覚えてくれている。
 
名前を言うとニコニコして、駐車場にいるのかな?と
見に行くほど。
 
だから、すこしずつ願いはかなっている。

これからだって、頼れる大人はたくさんいるんだよということを
教えていくつもりだ。
両親や親せきは県外で遠いけれど
あなたのことを、あなたの成長をいつも楽しみにみまもっているよ、と。
 

自立は孤立とは違う。


お師匠さんたちも教えてくれた、
自立というのは、
お互い様という気持ちと、もっと大切なこと
「助けてください」「力を貸してください」
「手伝ってください」と無遠慮に言える関係にある人たちに
囲まれること。
そしてその人たちが逆に力を貸してと言ってきたら
すぐに駆け付けること。
 

(依存のクレクレの奪ってばっかりは違うよ) 

周りはミカタばかりで、いい人ばかりで
愛されている幸運ななかにいることを
これからもたくさん伝えていこうと思う。


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