見出し画像

変化の時代のアン・ハサウェイにおののく 映画「魔女がいっぱい」 #512

「人生に変化はつきものよ」

未来なんていくらでも変えられる。いま、この状況を生きよう。ロバート・ゼメキス監督の「人生は、ひと箱分のチョコレートみたいなものよ、何が起こるかわからないの」という有名なセリフに込められた想いは健在でした。

アン・ハサウェイの大魔女姿が怖すぎると話題になった映画「魔女がいっぱい」を観てきました。かつてプラダを着た悪魔に苦しめられたアンが一変。自身が悪魔的な魔女としてノリノリの演技を披露しています。

<あらすじ>
交通事故で両親を亡くした少年「ぼく」は、おばあちゃんと暮らすことに。突然の変化に食欲もなくし、しゃべる元気もない「ぼく」を、おばあちゃんは懸命に励まします。ある日、「ぼく」はスーパーで魔女らしき女性を目撃。避難した高級ホテルにはゴージャスに着飾った魔女が集合し、会合を開いていました。魔女たちの計画を知った「ぼく」は、ネズミに変えられてしまい……。

原作はロアルド・ダールの『魔女がいっぱい』です。『チャーリーとチョコレート工場』の作者でもある児童文学作家の小説。

監督と脚本は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のロバート・ゼメキス、「シェイプ・オブ・ウォーター」のギレルモ・デル・トロが製作と脚本に参加し、「ROMA ローマ」のアルフォンソ・キュアロンもプロデューサーに名前を連ねています。主演の大魔女を演じるのはアン・ハサウェイ、おばあちゃん役はオクタビア・スペンサーと、アカデミー賞がいくつやねん!というほどの豪華な布陣。

このメンバーで最大限に愉快にはじけているんです。

冒頭は少年の悲しみをていねいにていねいに描いています。でも、意外と早い段階でネズミになってしまう主人公の「ぼく」。ハリウッド的な映画だと、魔女を倒して人間に戻ることがゴールと考えてしまいますが。そうはならないところが、この映画のおもしろさでした。

思いもよらない変化を受け入れ、いまの自分を精一杯生きる。

ロバート・ゼメキス監督が映画を通してずっと発してきたメッセージは、アン・ハサウェイの怪演、オクタビア・スペンサーの包容力で倍増していたようにも感じました。舞台はほぼホテルの中なのに、ネズミ目線のカメラワークのおかげで、アドベンチャー映画のようなワクワク感も味わえます。

でも、モヤモヤも残ったのですよね。特に、魔女の身体的描写についてです。

原作では「かぎ爪」としか書かれていない魔女の外見について、今回は人間との違いを「分かりやすく」表現しようとしたのだと思います。でもこれでは、障がいのある人や顔に傷のある人=悪い魔女と見えてしまうのではないか。

調べてみたらやはり、「私たちは #NotAWitch  魔女じゃない。」という抗議活動が行われていたようです。これに対して、アン・ハサウェイが謝罪する事態に。

映画のメッセージとは正反対な設定に、映画を観ながらちょっとつらかった……。上の記事を読めてよかったなーと思った帰り道。「分かりやすさの罪」について考えてしまったのでした。この映画の場合、魔女の外見をあそこまで作り込む必要はあったのかしら。

「マレフィセント」でアンジェリーナ・ジョリーが見せたように、アン・ハサウェイだって演技だけで妖しさは表現できたはずなのに。

マレフィセント2

「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」でジョニー・デップが見せたように、アン・ハサウェイだって演技だけで禍々しさを表現できたはずなのに。

ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生

抗議を受けても、魔女の身体的特徴を載せたパンフレットや公式サイトはそのままです。何の注意書きもない。この暢気さ……。

人生に変化はつきもので、ハプニングを楽しむ心は大事にしたい。それと同じくらい、人と違うことだって大事にしたいのよ、わたしは。


(画像は映画.comより)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?