システムからこぼれ落ちた人たちの哀しみ 『ディディの傘』 #585
わたしにとって韓国のイメージカラーはずっと「灰色」でした。「グレー」というよりも、もっとザラッとした「灰色」です。
子どものころに目に入ったニュースが、労働争議やデモだったせいかもしれません。いま思うと、あれは1988年のソウルオリンピック前後の民主化闘争だったのかな。大統領選挙だったのかな。卵をぶつけられる誰か、放水されてちりぢりに走り回る誰か、舞い上がる埃のイメージが、「灰色」につながったように思います。
韓国映画にハマるきっかけになったのも「西便制」や「ペパーミント・キャンディー」と、カラー作品なのに白黒映画のようなドロッと感のある映画でした。
ヨンさまをはじめとする韓流四天王やK-POPのキラキラ感についていけなかったのは、最初に感じたイメージと違ったからなのかも。
そんなすり込んでしまった「灰色」のイメージを、さらに鮮やかに(?)「灰色」付けてくれた小説が、ファン・ジョンウンさんの『ディディの傘』でした。表紙はカラフルな傘なのに、ね。
<あらすじ>
同窓会で級友のddと再会したdは、彼女に惹かれていく。ふたりは同棲を始めるが、事故でddが死亡。引きこもっていたdだが、清渓川の商店街で配達の仕事をするうち、音響機器の修理をする店主と言葉を交わすようになるが……。
「d」と「何も言う必要がない」の2作が収録されていて、上のあらすじは「d」の方です。
「何も言う必要がない」は、女性のパートナーと生きる主人公が、差別と向き合いながら生きる物語です。こちらではわざと「彼女」と「彼」を混ぜて使うなど、実験的な要素も盛り込まれています。最初に読んだとき、「???」となりましたが、斎藤真理子さんの解説を読んで納得しました。
こうした点も評価されたのか、韓国で一番大きな書店である教保文庫の「小説家50人が選んだ今年の小説 2019年」で1位に選ばれています。文学ではこういう取り組みが進んでいるのに、ドラマ「それでも僕らは走り続ける」って、なんで“僕ら”なんだろうと思いますね。
どちらの小説にも感じるのは、喪失の中の「ストップモーション」。小説なのに、映画の「ストップモーション」のような技法が使われています。動いているものがピタッと止まる「だるまさんがころんだ」のことです。
大学紛争や弾劾デモといった社会運動の「動」と対比されるように、登場人物の心はうつろで止まったまま。動き出した瞬間に、またパツンと止まる。この余韻は、ググググッと胸に刺さって抜けなくなってしまう。
社会システムからこぼれ落ちてしまった「個人」の物語を読むと、韓国文学界にはもはや、社会と対峙して変革する熱が希薄なのかもしれないと思えてきます。それくらい、深い絶望を感じてしまうのです。
『ディディの傘』は、亜紀書房から刊行されている「となりの国のものがたり」の6冊目にあたります。『フィフティ・ピープル』や『娘について』など、どれもいい作品ばかり。気になる方は、サイトをチェックしてみてください。
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