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辞書作りのプロジェクトXが始動。消えゆく祖国の言葉を守れるのか 映画「マルモイ」 #384

「言葉は民族の精神で、文字は民族の生命だ」

被支配国にとってもっとも悲劇的なのが、自分たちの言葉を失うことです。昨日ご紹介したドラマ「ミスター・サンシャイン」は、国の主権を失う直前が舞台でした。朝鮮に見切りをつけ、アメリカに渡った朝鮮人ユジン(イ・ビョンホン)は、子どもの頃に旅立ったためハングルの読み書きができないという設定。だからせっかくもらったラブレターも読めなくて、雑用係の子どもに一所懸命教わるシーンが印象的でした。

ユジンの場合は学ぶ機会がなかったが故のこと。第162回直木賞を受賞した川越宗一さんの小説『熱源』に登場するのは、言葉と土地を奪われた人々です。その悲劇性は多くのセリフに表れていたように感じます。

樺太に生きるアイヌは、学校を作ろうと奔走していました。和風の名前に抵抗し、「支配国の言葉」を学ぶことで、生きる力を得ようとしていたのです。

一方で、消えゆく祖国の言葉をそのままにしてはおけないと立ち上がった人たちもいました。

どんどんと支配国の力が強まっていく時代に、自分たちの言葉の「辞書」を作ろうという、ミッション・イン・ポッシブルな使命に命がけで取り組んだ人々の映画が「マルモイ ことばあつめ」です。

<あらすじ>
かっぱらいで生計を立てていたパンスは、京城(ソウル)駅でとある男のカバンを奪ったものの、中に入っていたのは朝鮮語の辞書を作るための原稿だった。カバンの持ち主であるジョンファンは、朝鮮語学会の新しい下働きとして雇われたパンスが気に入らない。辞書作りの作業が進まない上、弾圧が強くなっていき……。

タイトルにある「マル」とは韓国語で「言葉」のこと。「モイ」は「集める」の名詞形です。副題になっている「ことばあつめ」は日本語訳そのままなんです。

「マルモイ」と音で聞くと、なんだかふわっとかわいらしく聞こえますが、映画はバリバリの社会派ストーリー。しかも「泣き」の特盛りツユダクダクです。

監督はこれがデビューとなるオム・ユナ。ソン・ガンホがタクシードライバーとして民族運動の最前線に向かうという映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」の脚本家でした。

実は彼女にとって「タクシー運転手」が初の長編映画の脚本。そして続いて手がけた「マルモイ」で初監督・脚本を担当するんですから、ラッキーというだけではすまない強運と実力の持ち主なのだなと感じますね。

「マルモイ」は1941年のソウルを舞台にしています。

辞書を作る作業の大変さは三浦しをんさんの小説『舟を編む』にも描かれていました。

「マルモイ」で目指すのは、朝鮮各地の「方言」の収集です。通信の自由がないこともあって、これが簡単な作業ではないんです。そして。

骨盤の背側部で仙骨部の両側に殿筋と多量の分厚い皮下脂肪層が発達して、膨らみをつくっている部分。

これ、何の説明か分かりますか? こんな説明を聞いて、「みなさんの故郷ではなんて発音するのか教えてくださーい」と言われても困ってしまう。

見かねて、「ここだよ、ここ!」と自分の「お尻」を指さすのがパンス。学者の説明は一般庶民には伝わらないことを示す、とてもいいシーンでした。

ですがそのパンスは学校に通ったことがなく、朝鮮語の読み書きすらできなかったんです。居酒屋でマッチを並べて勉強するパンス。男手ひとつでふたりの子どもを育てるため、日々の生活でいっぱいいっぱいだった彼は、ようやく、母国の言葉の大切さに気づいていきます。

マルモイ2

(画像はKMDbより)

演じるのは「ベテラン」で無能な働き者の常務を演じていたユ・ヘジン。「純粋だけどがさつだけど仕事熱心な男」を演じるのがうまいんですよね。

「言葉を守りたい」がテーマの映画なだけあって、撮影現場でもできるだけ外国語を使わないようにしたのだとか。ただ、撮影用語には日本語が多く使われているため苦労したそうです。

辞書作りのメンバーである「朝鮮語学会」の人々によるプロジェクトXにも目が離せないのですが、この映画はパンスの家族の物語でもあります。ロベルト・ベニーニ監督の「ライフ・イズ・ビューティフル」を思い出してしまった。

親から子に伝える最大の愛情が、民族としての精神であり、生命でもある「言葉」に重ねられています。涙なしでは観られない物語。ちょっと特盛り過ぎた気もするのですが、それでも。

生きる力としての言葉がわたしの手の中にある。それはもしかして奇跡のようなことなのかもしれない。思わず感謝したくなりました。


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