イマジン

母の呪縛からの脱出 『イマジン』 #244

真っ暗な闇の中。一筋の光もなく、自分が目を開けているのか、閉じているのかも分からない。そんな中で、わたしは思わず自分の鼻を触っていました。肉体がそこに実在しているのかさえ感じられなくなっていたからです。

長野県にある善光寺の「お戒壇巡り」は、ご本尊様のあるフロアから階段を降り、地下をぐるりと回るというもの。真っ暗な通路を進んでご本尊様の真下に懸かる「極楽のお錠前」に触れる=ご縁をいただくことで、自分の中にある「仏となる種」を大きく育てることになるのだそうです。

「お戒壇巡り」は別名「胎内めぐり」とも呼ばれています。真っ暗な通路で感じる孤独と、出口の光に感じるぬくもりとありがたさは忘れられない。

生まれ直した気がする。

外に出た時は思わず、槇村さとるさんのマンガ『イマジン』と同じセリフをつぶやいていました。

<あらすじ>
不動産会社に勤める飯島有羽(ゆう)は、母の美津子と二人暮し。豪快で奔放で破天荒な母は、有羽の子育てをしながら一級建築士に合格し、離婚して独立したほどの行動力の持ち主です。
それぞれに新しい恋人が見つかり、仕事に恋に迷いつつ過ごしていた時、美津子の妊娠が分かり……。

マンガの中の母と娘は一見、仲良しで、ぶつかることはありません。仕事はバリバリこなすけれど、家事はいっさいダメな美津子に代わり、子どものころから家の中のことをこなしてきた有羽。すべてを自分ひとりで決めてきたようですが、彼女はどこまでも「いい子」なんです。

お母さんがモーレツ・ハツラツ・バイタリティの塊な分、もっとはじけてもいいのに、言いたいことを言ってもいいのにと感じてしまうんですよね。たとえば、アニマル柄の洋服を見て、あんな服もいいなと思えるようになった自分は大人のオンナになったような気がする。でも、男の人から「ああいう服を着ている女はさ~」と言われるとモヤモヤする。

母に対しても恋人に対しても、少し遠慮があって人との関係が太く濃く深くなっていかない。それが悩みです。

母の美津子は自分がやりたいようにやり、生きたいように生きてきた人物です。恩着せがましく娘に迫ることもなければ、干渉することもない。その距離は、有羽には不安だったのかもしれません。

妊娠した美津子の身辺はにわかに忙しくなり、加えてショックな出来事が発生。美津子は長野の善光寺を訪れます。


槇村さとるさんといえば、子どものころの虐待体験を綴ったエッセイ『イマジン・ノート』があります。

16歳で漫画家デビューし、とんとん拍子に売れっ子に……と思っていたのですが、彼女にとって漫画を描くことは一種のセラピーだったそう。「幸せになりたい」「人間として生きたい」そんな叫びがマンガとして表出したわけです。

マンガ『イマジン』もやはり、彼女の過去を反映しているように感じます。こちらは母と娘の関係を見つめ直したもの。

昨日ご紹介した『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』には、「フェミニズム」とはまず「母と娘」の問題だという上野先生の言葉が紹介されています。

おそらく、子どものころから一番そばにいて、一番影響を受けてきた母という存在。現在の悩みや迷いを探るために、母との関係を一度すべて取り出して光をあててみる。過去に何があって、何がしこりになっているのか。母をそうさせたものは何か。自分が感じた感情はなんだったのか。自分を苦しめている問題を切り分けることでようやく女たちは一歩が踏み出せるのだと上野先生は言います。

一見なんの問題もわだかまりもないように見えた美津子と有羽の母娘にも、やはり影の部分がありました。それは美津子が自分の母から受け継いだものです。

わたしの代で、断ち切る。

美津子はそう決めていました。地下への階段を降りて行く時は、ボロボロの、ヨロヨロの精神状態。

長野に行った時、わたしもやはり、ボロボロの、ヨロヨロの状態でした。早朝だったため、善光寺の中はまだお掃除の途中。ブオーンブオーンと大きな音を立てている掃除機をかけているのは、割烹着を着た中年女性でした。聞いてみると、お参りはOKとのことだったので、地下に降りてみることにしたのです。

掃除機の音に見送られてって、興をそぐわーという気持ちは一瞬で消えました。とにかく真っ暗。真の闇。表の音はすぐに聞こえなくなり、他の参拝客がいないため、文字通り、わたしはご本尊様の真下でひとりぼっちでした。

光はまったくない。前に進めと聞いていましたが、前がどっちかなんてもう分からない。右手で触れている壁から手を離せば、出口も見つけられなくなる。自分の身体が本当にそこにあるのかさえ確かじゃない。

すごく怖かったのですが、おそらくご本尊様の真下かなと思われる辺りでしばらく座ってみました。

『イマジン』の美津子は暗闇の中で、幼い有羽とお腹の中にいる子どもに出会います。生きるのを止めるか。迷いながら、まだ小さな子どもたちと交わす会話。

そして。光の方へと進むことを決意するのです。

母を、恋人を、なにより自分を、「赦す」と言ってしまうと、何か違う気がします。赦すというよりも、「手放す」、でしょうか。だからもう一度、明るい、あたたかい光を浴びた時、「生まれ直した」ことを実感する。

美津子が感じたものとは違うかもしれないですが、わたしも暗闇の中に、自分の中のどす黒いものを置いてきたような気がします。壁を感じながら鼻を触り、自分の身体があることに、初めて感謝しました。

通路の先に光が見えたとき、とてもうれしかった。負の感情を脱ぎ捨てれば、顔を上げられるんじゃないだろうか。もう一度生まれて、もう一度生きてみようと思えるんじゃないか。

地上に出てみると、掃除機タイムは終わっていて、たくさんの座布団を並べる人たちがいました。その中をフワフワと歩いて建物の外まで行くと、セミの大合唱が。

わたしの誕生を盛大に祝うハレルヤに思えました。


美津子が自分の母との確執にケリをつけた後、有羽にも変化が現れます。誰かの目を意識することなく、自分の好きなものを好きと言えるようになり、「羽の有る」少女は、自分の足で歩く喜びを知ります。

母からの呪縛をほどいて、自分で自分を認められるようになれば。きっと、もっと、生きやすくなる。


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