司書へのリスペクトが止まらない 映画「パブリック 図書館の奇跡」 #372
「図書館は、ベビーシッターのような場所」
これもわたしの言葉ではなく、映画「パブリック 図書館の奇跡」を監督したエミリオ・エステベスの言葉です。
<あらすじ>
オハイオ州シンシナティの公共図書館で働くスチュアートは、かつて「体臭」のために退館させたホームレスから訴えられたことを知る。解雇を匂わせられた日、大寒波の影響で行き場所を求めたホームレスたちによってフロアが占拠されてしまう。出入り口を封鎖し、ホームレスたちと行動をともにすることを決めたスチュアートだったが、検察官やメディアの報道により、平和的なデモは危険な立てこもり事件に仕立てられてしまい……。
身を持ち崩した過去がありながらも、本によって立ち直ったというスチュアートを演じるのは、この映画の監督・脚本を務めたエミリオ・エステベスです。
モジモジした本好きおじさん感を醸しつつ、遅刻常習犯の同僚をマネジメントし、警備担当者と冗談をかわし、毎日やってくるホームレスたちともあいさつをする。
そんな平和な日々に起きた、平和なデモンストレーションは、意図しない形で「事件」となり、スチュアート自身も精神的に不安定で前科のある「容疑者」にさせられてしまうのです。
映画では主にふたつの事柄が軸になっています。ひとつは「司書」たちの仕事。そしてもうひとつが「コミュニティ」です。
図書館の本を管理している司書たちは、毎日毎日とんでもない量の質問にさらされているんですよね。中にはこんな相談も。
「実物大の地球儀が見たいの」
うーん、使用中かなー。なんて、ユーモアのある返事もしています。
『100万回生きたねこ』を「100万回死んだねこ」と覚えている人など、タイトルや著者名のうろ覚え質問をまとめた、福井県立図書館の「覚え違いタイトル集」を思い出してしまいました。大爆笑の質問に応える司書ってすごいなー。
そしてもうひとつの「コミュニティ」としての役割については、『炎の中の図書館』でも触れられていました。
(ホームレスや薬物の使用や精神障害のある人と)デスクを共有し、本を共有し、トイレを共有するということは、まさに図書館の心髄なのだ。
すべての人に開かれているという図書館の約束は、負担の大きい任務だ。
時には「体臭」の強い人に退館を促すこともある。騒ぎを起こせばなだめる仕事もある。苦情に応えつつ、それでもアメリカの公共図書館は社会的弱者である人たちを排除せず、コミュニティの場として活用することを選んでいるのです。知識と情報の集まる場所。それが図書館であり、誰もがそれにアクセスする権利を守るために。
映画の原題である「The Public」=「公共の」「広く一般に開かれた」という意味もそこにありそうです。
ホームレスたちの「凍死しない場所で寝かせてくれ」というもっともな訴えに同調するスチュアート。失敗を経験し、セカンドチャンスを生きているいまは、最もやりたくないことで、最も協力したいことだったかもしれない。一方で、事件を市長選挙戦のアピールに使おうとする検察官や、息子に家出されてショックを受けている交渉人は「強行突入」を決めてしまいます。
さぁ、スチュアートたちが取った脱出方法とは。権力に立ち向かう武器はやっぱりユーモアしかない。奇跡のような、とびっきりのエンディングでした。
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