見出し画像

“閉じた世界”のホラーミステリー 『月の裏側』 #420

秋になると、月を見上げる時間が増える気がします。中秋の名月があるからかな。ちなみに、ことしの中秋の名月は10月1日。その頃にはこの強い日射しが落ち着いて、秋の気配が感じられればいいんですけどね。

「月は一年に3.8センチずつ、地球から離れていってるんですよ」

伊与原新さんの短編集『月まで三キロ』にあった豆知識です。月は少しずつ離れていっていて、おまけに地球に見せている面は片側だけ。1959年にソ連の月探査機「ルナ3号」が撮影に成功するまで、月の裏側は、誰も見たことがない世界でした。

一番近い星である月のことだって、わたしは何も知らない。人の心の裏側だってうかがいしれない。そんな、「もしかしたらそこにあるかもしれないモノ」が放つ気配ほど、怖いものはありません。

恩田陸さんの小説『月の裏側』は、不確かなモノによって広がる恐怖を描いたものでした。

九州の水郷都市・箭納倉(やなくら)で相次いで起きた失踪事件。行方不明になった老女たちは戻ってきたものの、記憶を失っていました。元大学教授の協一郎は、教え子の多聞と娘の藍子を伴って事件を調べていくうちに、おかしなことに気がついて……というお話。

この小説に登場する「多聞さん」は、『不連続の世界』というミステリーにも登場します。大人になった「コナン少年」といいましょうか。頭がいいのはもちろん、おだやかで、気遣いができて、目配りもできる青年です。

町に秘められた謎に気づいた「多聞さん」は、自分たちの存在にも疑問の目を向けます。

「盗まれて」いるかどうか確認するには、「盗まれ」なければならない。つまり、どちらにしても最後は僕たちは「盗まれる」わけです」

「盗まれる」対象として、たとえば、時間や、お金、やりがい、勇気などがあったとして、それがいつの間にかなくなっていく。そのことに、自分自身は気がついていない。目盛りがあるわけではないので、気づけない。

恩田さんらしい“閉じた世界”のホラーミステリーですが、ちょっと『モモ』を思い出しました。

舞台となっている箭納倉(やなくら)は架空の町で、福岡県の柳川がモデルだそうです。扇形の市内を掘割が縦横に走っていることから「水の都」とも呼ばれています。

水路として活用されてきた堀割って、人間の身体にたとえればリンパのようなものでしょうか。町に広がる恐怖と閉塞感が、リンパの役割を果たす堀割に沿って広がっていくかのようでした。

誰も見たことがない月の裏側のように、見えてはいないけど、そこにあるもの。ちゃんと目覚めて生活しなければ。わたし自身を生きるために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?