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“ファクト”を信じない人たちによる暴走は、虚構じゃないのかもしれない 『臆病な都市』 #579

人は、自分が信じたいものを、自分が信じたいように信じる傾向があるといわれています。『FACTFULNESS』が話題になろうと、脳科学が進化しようと、事実を受け入れようとしない人はいます。

事実<<<感情

となると、根拠のないものに不安を感じたり、「世間一般」を外れることに恐怖したりしてしまう。

現実への対応<<<不安への対応

これは、はてしなく意味がなく、はてしなくめんどくさい仕事だなーと、砂川文次さんの小説『臆病な都市』を読みながら思いました。

<あらすじ>
「首都庁」に勤める若手官僚「K」は、ある日、「鳧(けり)」が媒介する新型感染症の発生が疑われるというニュースを受け取る。専門家からは事実無根であることが示されるが、市民から次々と不安の声が挙がり始める。国と都の方針に反して、ある自治体は独自の対策を決定。その結果、存在しないはずの新型感染症がひとり歩きしてしまう……。

「ない」と言っているのに、「ある」ことになっていく噂話。両局に向かって暴走する世論と、無為無策な官僚組織の姿は、現在の社会を映しているよう。会議を準備するようすなんて、ニヤニヤしてしまいます。

砂川文次さんは、元自衛官だそう。自衛隊の訓練では、演習場を線で区切って、海に見立てたり、敵に見立てたりするのだそうです。子どものころの「ごっこ遊び」まんまやん。見立てと現実を区切るのは、権力なのか、言葉の力なのかという疑問が、何かを書く原動力になっていると語っておられます。

謎の新型感染症がテーマの小説ですが、執筆自体は新型コロナウイルスの感染が広がるよりも、もっと前に書かれたとのこと。「ファクト」を信じず、「感情」に振り回され、暴走していく民衆の姿が描かれています。

若手官僚の「K」は、決して熱意あふれる公務員ではありません。ただただ、ひたすら、職務に忠実なだけ。その、“だけ”が問題なのですが……。

「裸の王様」に、「だけど、なんにも着てないじゃない!」と叫んだ子どもがいましたね。子どもの無邪気=空気の読めなさが、「ばか者には見えない布地」の虚構を突き破ったわけですが。

見栄や立場にとらわれて本当のことを言えない大人がいるように、「無邪気」に世間を渡るには、「鬼」が多すぎる。対応がたらい回しにされ、どんどんと身動きが取れなくなっていく「組織」という生き物に、恐怖を覚えます。

そしてまた、人が伝えようとしていることは、伝えようとしている通りには伝わらないという現実もあるんですよね。くわばらくわばら。



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