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まさかの失敗⁉️なかなか決まらない空室。どうすれば良いのか?できることは、全部やります。


1、この部屋を選んでもらうために

 初めて収益物件を一棟購入でき、ウキウキ気分も束の間。ローンの返済が始まるというのに、2室の入居者さんが決まらない。
 購入前に「立地が良いから、すぐに決まりますよ。」という営業トークを、間に受けたわけでは無いのですが、気楽に考えていました。まあ多少の賃料調整をすれば入ってもらえるだろうと思って管理会社のスタッフさんに相談しました。

 その会社は、親族経営でした。みなさん親切でした。
地域の相場を教えて頂き、どこの修繕が効果的か、優先順位を一緒に考えました。
 2室が空きのため、現状の家賃総額ではローン払い後のキャッシュが心許ない状況でした。修繕費を抑えたいと、現状を理解してもらいました.

 専業主婦で時間の融通はできたましたので、下の子が昼寝をしたら、物件のチラシを作ったり入居者さんに日用品のプレゼントグッズに入れるカードを用意したりと、「出来ることは何でもする!」と張り切っていました。
 しかし、待てど暮せど、申し込みがありません。ジリジリと焦りが募るばかりです。実施した事は、
・広告費1月分
・賃料値下げ
・チラシ広告作成(部屋の入り口に掲示)
・成約プレゼントグッズ🎁(キッチン台に設置)

 これ以外に何ができる?まだまだ足りない⁉️
思い切って、部屋の中の仕切りの扉の色を明るく塗り替えました。淡いピンク系と、薄いグリーン系です。

・扉の色変更で、室内を明るいイメージに
・市内の賃貸物件情報収集や近所の物件の空室率と家賃調査
・管理会社への訪問は短時間にして、頻度を上げる
 管理会社までは、車で片道40分でしたが、何回も挨拶に通いました。
 1組でも多く案内してもらえるように、案内する物件の順序を上げてもらえるように、私自身&物件をスタッフの方々に親しみを持って紹介してもらえるように、ひたすら考えました。

 実は、なかなか決まらないので、担当者に詰問口調で電話した事がありました。なぜ決まらないのか、なぜ決めてくれないのか。そうは言ってませんが、相手を責める口調だったことは間違いないです。
 私が支払っている管理費は、たかだか5%の手数料。なのにスタッフの方々に、労いの言葉をかけもせず要求を突きつけるだけの、人任せの嫌な大家になってしまったら、決まるかどうかわからにような物件にわざわざ案内する気になりませんよね、、。

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2、管理会社のスタッフさんの意見を大事に聞く

 スタッフの方々が、日々努力してくださっていることに感謝の気持ちを伝えるようにしました。そして、案内したら決まる物件になるようにと、助言をもらい、費用はかけられないけれども、私は動く事ができます!と粘りました。初めての大家業なので、「どうか、アドバイスをください。」と伝えました。

 会社のホームページにも、一押し物件として、大きく掲載して貰えました。ありがたいです!今ではアプリの検索サイトで、物件情報に簡単にアクセスできますね。現地も地図アプリで確認し、室内も動画を見て入居を決める方もいるようです。14年前を振り返っていると、隔世の感です。

 「謙虚に、感謝の気持ちを伝える」をモットーに接することで、互いに気持ち良く仕事ができると思いました。もちろん迎合するのではなく、こちらの意志は、きっちりと伝えていました。引いたり押したりですね。

 そういえば初めの頃は、営業車に乗せてもらう時に、わざわざ運転席の反対側に回って、ドアを開けてくれました。その必要性を全く感じ無いので、はっきりと断りました。私は大家!というよりも、不動産賃貸業に関することを学びに来た者として、思うところを忌憚なく教えて欲しいと伝えました。(忌憚なく言えるわけ無いんだけどね。)もしかして他の大家さんは、ドアを開けてもらっているのですか?

 さて、どのようなことも、先人に学ぶことが一番。関係者や経験者の話を、知っている事でも口を挟まず、最後まで聞いてから質問しました。
 そのうち、私の物件は、元々は地域の建設会社さんが自社物件として建設しており、良い物件を購入されたと教えてもらいました。他の事業に手を出して本業の事業が傾き、泣く泣く手離された経緯を聞きながら、経営の難しさを教えてもらいました。この話は、修繕担当の方と一緒に、恐る恐る梯子に登って屋根の状態を確認していた時に聞きました。梯子の怖さと事業を営む怖さがダブルで焼き付いています。

 いつしか熱心な大家さんとして認知されていたと私が知るのは、7年後の物件を売却する時のことです😄

3、やった!満室。えっ?退去😭繰り返しが仕事

 ついに申し込みがありました。契約書を交わした後はうれしくてうれしくて😋管理会社の方々・入居される方々に感謝の気持ちでいっぱいでした。
 しかし、満室も続かず何ヶ月かで退去の連絡がありました。申し訳なさそうな声の電話に、明るく返事をするようにしました。「えーっ!せっかく満室になったのにー」と心の中で愚痴りながらも、またチラシの作成を始め、せっせと管理会社へ車を走らせました。

 今度は、始めから広告費を2ヶ月にしました。もっと早くそうしていたら、案内順位が上がっていたのに。やはりお金はパワーですね。チラシではかなわない集客力を手に入れました。今では、当たり前の相場のようですが。

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人は、移動するものです。次の入居者さんはどんな方かな?出会いが楽しみだと思っていました。若いご夫婦の入居者さんから、賃料を値引きしたのでお礼の手紙を頂きました。今時?(13年前のことです)このような方がおられるのだと感激しました。暫く手元に残して大事にしていました。

 一度退去された方が、1ヶ月で戻って来られた事もありました。引越し先に、意地悪な?隣人が居て、嫌がらせを受けたそうです。誰が入居しても文句を付ける人だったようで、もう耐えられない戻って来たいとの事でした。そもそも家賃が高いからという理由で引越しされたので、戻ってきても支払いは大丈夫なのか確認後、再度入居となりました。

 もちろん「お帰りなさい!」と、まだ修繕もしていなかったので、敷金と家賃のみで入居OK🙆‍♀️しました。それにしても、引越し先の物件の大家さんがお気の毒でした。

4、銀行の与信UPにかかった時間は、約10年


・ファイナルシャルプランナー
・簿記
・宅建士
 この順に資格を取得しました。その次には、給与所得を増やしました。
 非正規雇用月額6〜8万程度。
 その3年後に非正規雇用月額12〜13万。
 更に3年後、非正規雇用で16〜18万。
資格を取得していたので、仕事内容も変わり、手取りも上がっていきました。ついに、8年後に正規雇用で働く事ができました。
 専業主婦になり、ずっと離職していましたが、非正規雇用で得た給料7万円(手取りは6万4千円)を握って、働くことの大変さと喜びを噛み締めた事、今も忘れません。
 子育てが落ち着いた頃には、非正規であっても、勤続3年の源泉徴収を提示して銀行に与信を審査してもらえる立場になっていました。

 振り返ると、とても個人事業主とは言い難いのです。目の前のことに必死で形振り構わず突っ走った取り組みでした。お恥ずかしい限りです😅

 次回は、この物件を売却した時に感じたことをまとめます。












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