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ひとつの別れ

今年は(今年も)いろいろな事が重なって起こりすぎて頭がついて行きません。

そのうちのひとつ、これまでほとんどnoteで触れて来なかった事についてです。

家の処分

義親の家を処分する事になりました。

一昨年に家主が亡くなり、誰もいない家になりました。
子の誰かが引き続き住む選択肢もない事はなかったのですが、義親が住んでいた団地がちょうどその時期、取り壊して全面建て替え、という事が団地の組合で決定していました。そして、

「住むなら、旧住宅を売って、そのお金+αを払って住む」
「住まないなら、旧住宅を売る」
と言う2択を迫られ、子どもの学費のこともあったので、売却する事にしました。

私の実家も今は空き家で、そのうち処分するだろうと思ってはいますが、タイムリミットはある程度自分で決めようと思えば決められます。ゆっくりと進めていく間に心(気持ち)の整理もしていく感じです(なかなかそうすんなりとはいかないのですが)。

が、今回のようにタイムリミットが決まっている中での作業はなかなかに慌ただしいものがありました。

手伝い

本来は、実子のなかで「あれはどうする?」「これは?」とあれこれ決める事がたくさんあるはずです。ところが肝心の「実子」の足腰が動かなくなり、階段を上り下りできなくなり、その団地に入る事ができず(団地にはエレベーターがありませんでした)。
しまいには、ついに長期入院となりました。

家じまいの最終段階で実子のひとりが全く何もしない状態となり、残った人が一生懸命やろうとしましたがあまりにもそれは重荷。しかもその実家からいちばん近いのは私です。なので私も、小さなモノ運びや家の換気、カメムシ問題、残っていた植物への水やり……やれる事はなるべく声をかけて手伝いました(ほんのちょっとですが)。

「ゴミ捨ては全部業者に頼んで」と私は思っていましたが、少しでも経費を減らしたい、という事で、自分たちの手でゴミを分別し、こまごま収集日に合わせて処分していったようです(それには私は参加できず)。

たまたま、「団地」ということで他の世帯もいっせいに退去することもあり、処分に関する業者さんがそのあたりもある程度まとめて対応してくれたそうで、そこは団地のメリットだったといえます。

退去の日

退去当日。

数ヶ月前からブレーカーも落とし、ガスも止めていましたが、カギも不動産屋に返却する日が、ついに来ました。

何かと用事を済ませるため、月に2度ほど行っていた義親の家に、ついに入れなくなりました。

肝心の実子のひとりは、先に述べたように長期入院中のため、その場に立ち会う事ができませんでした。
5月から入院を強く強く、周りのみんなも勧めてきましたが、言えば言うほど殻に閉じこもり、頑なに拒否。
数カ月後に一歩も動けない体になってついに「観念」しましたが、もっと早く入院を決断していたら、「家じまい最後の日に病院」という事態にならなかったと思います…

子どもができる前から食事をよくしに行っていた家。
孫をひんぱんに連れて行った家。
あまり気の利かない私に気をつかってくれた義親の家を、経済的な稼ぎがないために引き継ぐことが出来なかった事も残念です。

私は引き渡し当日は勤務のため、立ち会う事はできず。

その前日にひとり、家主のいない家に立ち寄り、小さい声で「ありがとうございました」とつぶやきました。


誰もいない団地です

誰もが訪れるひとつの別れだと思います。
私にはもうひとつの別れがあります。自分の実家もそのうち…



#今週の振り返り

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東の京の田舎市民
至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。