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約4年ぶりの外出と墓標と

私の親は、介護施設に入っています。
4年目になります。
例のコ口ナ騒ぎになって以来、面会ができなくなりました。去年あたりから面会は可能になったものの完全防備体制で時間も超短時間でした。
今月から、「外食等、屋内で人と会わないようにしながら」であれば、そして「短時間であれば」外にご一緒に出てもいいとのお達しが来ました。
それ、ただの散歩か?であれば職員の方とやっている事だしな…私がやる意味がある?
……そうだ。墓参りに連れて行こう。
ともかく、おバカ政策で又愚かな行動制限がかかるかもしれない。やるなら今しかないかもしれない。
と思い、行動することにしました。
親にとっては約4年ぶりのクルマです。4年間、歩くスピード以外を体感せずに過ごして来た人です。とにかく最初はゆっくりと走りました(結局最後まで気分は悪くならずに済んでよかったです)。

余談かもしれませんが、私のご先祖さまがいる霊園の敷地内には尾崎豊さんも眠っています。墓標には、

「生きること、それは日々を告白してゆくことだろう ー放熱への証ー」

と書かれています。
これを見た当初(たぶん20代)の私は「?」マークしか浮かびませんでした。告白するような事が特にない、ボンヤリとした日々を過ごしていたからです。最近になってそこそこの事件もあったり、noteの場をお借りして多少の「告白」もしているので、ようやくですが、半分くらいこの意味が腑に落ちているように思います。
そういう意味でも、見るたびに感じる思いが変化する、すごいメッセージだと思います。
そしてこれを20代でわかっていたという事にも。

余談のほうが長くなってしまいました。

私の親は、たぶんその墓にいるのが自分の両親だという事も分かっていないかもしれません。それ以前に、もう私が息子である事もよく分かっていないようです。
「じゃあ何のためにそこまで行ったんだ」とも思いますし、単なる自己満足にすぎないのかもしれません。

でもきっと、墓にいるご両親(私にとっては祖父母)は「おぅ、久しぶりに来たなぁ。エッ、もう帰るの?」と言っているように思います。
そう思い込むことにしています。


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