卒業

1年ぶりくらいですかね。お久しぶりです。あたぽんです。ふと文章を書きたくなり再び戻ってきました。

昨日(2021.0309)、映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見てきました。これについて語らずにはいられなくなったのでつらつらと離していきたいと思います。

先に言っておきます。ここから下でネタバレします。いやな方はお戻りください。

エヴァと自分

そもそも自分とエヴァは生まれたときから関わりを持っていました。父親がエヴァのカジュアルなファンでして、生まれたときから漫画版、アニメ版のVHSに囲まれて育ちました。物心ついた頃にはそれらを視聴していて、自分が小学生の頃に始まった「新劇場版」も後追いながら視聴をしていました。自分は深い考察ができるほどの頭脳は持ち合わせていませんが、物語を自分の感性と照らし合わせて自分なりの考えや答えを持つようにはしていました。それでも「Q」は自分にとってあまりに未知の領域すぎて、上映当時(僕が12歳くらいの時)叔父と見に行ったのですが、二人して「わけがわからない」と言い合っていました。それから9年近い年月を経て、昨年にはTVアニメ版、コミックス、新劇場版3作品を全て視聴し、今回の「シンエヴァ」へと臨みました。

「シンエヴァ」を見て(ここからネタバレ注意)

まずはじめに、自分がシンエヴァを見終えて、とてもすっきりとしています。シンで新たに感じた疑問などはありますが(渚指令はじめ)、Qでちんぷんかんぷんだったのに比べてそれの答え合わせと呼べる描写も多く(言い換えると、Qは全体的に問いかける作品だったとも感じれるが)、「はえ~」と感嘆のため息を人知れずこぼしながら視聴していました。

エンドについて思うこと

シンジとマリのカップリングについてもネットでは賛否ありますが、個人的には「新劇場版」のエンディングとしては良かったのではないか、と思っています。マリはこの新劇場版の世界においてほかのキャラよりも一歩引いた目線から物語に参加していた(≓客観的な立場にいた)ように見えませんでしたか?自分にはそう見えていました。Qから出てきたワードとして「エヴァの呪縛」があります。思うに、監督である庵野秀明監督はQ以後、鬱になり、それから立ち直った後、エヴァと言う作品(=シンジ)、庵野監督(=ゲンドウ)の構図を客観的に見直したことでシンエヴァにおける初号機と13号機の力による考えのぶつけ合いではなく記憶世界での対話という形で決戦を行ったのではないかと思うのです。この場において庵野監督はエヴァから卒業するための(=エヴァの呪縛から解き放たれるための)エヴァにとらわれない(≒存在しない世界)を構築するエンドを書いたのだと思います。そしてそのために必要なのはエヴァの言う概念に記号(象徴)として存在しているアスカではなく、マリという存在が必要でした。そしてアスカには(レイ、カオル、ゲンドウにもだが)、旧劇のセルフオマージュで別れを丁寧に描写することで「これまでの」エヴァを構築していたキャラクターたちとは、異なる道をシンジに進んでもらいました。マリは新劇場版から登場したキャラクターであり、エヴァの呪縛にとらわれていない人物です。考察であるとおりエヴァの世界が旧劇、新劇を含めてループをしているのならばシンジにとってマリは、既定路線ではない、自分の知らない可能性へと自らを引っ張ってくれる存在です。旧劇の世界においてシンジはレイ、アスカ、そしてミサトとの関係についての描写がありました。しかし、新劇でのシンジとマリはほとんど関係性を持たない、我々にとってもわからないことだらけの関係性です。そしてエヴァのない世界、自分たちの知らない世界へと進むためにはマリの登場が必要だったと思います。長くなりましたが、なので自分はこのエンドに不満は特にありません。

そして最後のシーン。碇シンジ(cv神木隆之介)とマリのシーン。ラストはデジタルのキャラクターと実写の背景とを混ぜ合わせて描かれていました。は本編にもエヴァ・イマジナリーに関連してのイメージとリアルの話題がありましたが、この演出で僕たちをエヴァというイマジナリーの世界から解き放ってくれるように感じられました。

前作であるQと対比をさせがちですが、この「シン」はキャラクターたちの内面、心象をセリフにして深く掘り下げてくれることで個人的にはQと比べてとても分かりやすかった作品だったな、と思います。恐らく、庵野監督自身も楽しく制作し、見た我々も見て疑問が残るのではなく楽しかったと劇場を出られる作品になっていて、「エンターテインメント」としてのエヴァは、この作品を以てまさしく「集大成」といえる作品だな、と感じました。

そして卒業の時

こうしてこうして僕たちは「エヴァ」からサヨナラを告げ、自分たちの取っ手の現実へと目を向ける…。ことは、できるのでしょうか?見終えて1日たった今、終わった喜びだけではなく、終わったという喪失感のほうもなかなかに大きいです。

エヴァと自分との思い出を振り返ると楽しい記憶ばかりです。しかしエヴァはイメージからリアルへと自分を送ろうとしてくれている。まだ見ぬイメージに思いを馳せて変わらぬ日常の流れに身を委ねた日々もイメージの終焉とともに終わります。シンジは、マリとまだ知らない世界へと旅立った。ならば僕たちも、まだ見ぬ明日が待つ現実へと改めて目を向けなければ。今を見つめ、想像に胸を膨らませる子供から、今と戦う大人へと成長しなければ。変わらぬ日常から未知の明日へとわが身を移すためのメッセージが込められたこの作品を見て僕たちは、現実に生きる人となる…。


ありがとう。そしてさようなら。すべてのエヴァンゲリオン

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