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鏡 その2

前回、鏡について書きました。

スキくださった皆さん、大好きです。励みになります。

今日は、鏡についてもう一つ思ったことを書きたいと思います。

人は鏡だという話について、もう一つ、「鏡だ」と感じたことがありました。

自分の思っていること考えた事を誰かに伝えたいと思った時、それを、どういう言葉やシチュエーションで伝えたら良いのか別の人に相談することって良くありますよね。

というか、それが殆どだと思います。

自分が眼鏡を買う時、どういう形が似合う?

あの人に断りを伝える時はどうやって伝えたらいい?

どうやったらお客さんに喜んでもらえるディスプレイに出来る?

考え出すとあらゆる場面が思い浮かびますよね。

これは、コミュニケーションの原点かも知れない。特に、人からどう見えるかを気にする日本人にとっては大きな比率を占めるかも知れませんね。

はたと気付いたのです。「これは鏡ではないか!?」

そう、自分が思うように「こう見えてる?」「いや、そうは見えないよ」の繰り返し

このやり取りを通じて少しずつ見え方を整えてゆく、会話のプロセス。

これは、まさに「鏡」ではないか?

人とのコミュニケーションを通して自分の表現を整えてゆく、これはまさに鏡を見ている時の動きと同じですね。

これに気がついた時は鳥肌が立ちました。

当然、前回「鏡」の記事を書いた時はそんな事思いもよらなかったけども、

最近何となく感じていた、私が苦手だったコミュニケーションのからくりに思いを馳せた時、「そうだこれも鏡だ」と。

日本人特有のコミュニケーションかどうかは分からないが、私にとっては、このようなやり取りの意味が全く分からなかった。当然10代、20代の頃は人に相談することに意味が見いだせず全て自分で決めて自分で行動していた。

周りの人が一体何に言葉を尽くし、行動する前にそんなに話すことがあるのか不思議でたまらなかったし、無駄にしか思えなかった。全く相談しない私に気を配る人もおらず、仲良くなる機会が少なかったのは言うまでもない。

当然、行動は取りやすいししがらみも少ないが、自分の身の置き場が無い、どこか宙ぶらりんに感じるそんな青春時代を過ごした。

そんな自分であるが数ヶ月前に、この「鏡」の存在を知ってから、少し安心して発言や行動できるようになった。

こういう事は慣習だから、教えられなかった人はずっと分からずに生きていくし、知っている人は無意識にそうやって人とコミュニケーションを取りながら安心を得ながら生きていくのかも知れない。

どうにも思わない人が大半だと思うけれど、この文章が、私みたいにエアポケットに落ちちゃう人に届けばいいな。

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