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サバイバルするために、私たちは父の記憶を美化する。

10年前、父は自殺した。好き勝手していたし、他界する前には距離を取っていたので、父の不在には慣れていたはずだったが、10年経っても生身の彼にもう会えないという事実に慣れない。
人間としては面白い人だし大好きだったが、父親(もしくは大人)という役割が得意ではなかったし、上手く演じるつもりもないような人だった。死ぬタイミングも自分で選んで自分で死んだ。
そんな父なので、母との関係は不思議なものだった。大きな子どもがもう一人いるような。強く嫌いながらも離れないちぐはぐな関係。恨み言もいっぱい聞かされた。だが、父が本当にいなくなるとちょっと毛色が変わってきた。
父の死後何年かした頃、繁華街で母と飲んでいると、ある俳優さんがディレクターとおぼしき人と入ってきた。飾らない服装なのに、テレビで観るより何倍も格好いい。母ももちろん興奮していたが、相手に聞こえるわけでもないのに「お父さんの方が格好よかったよ」と私に耳打ちした。
最近は、「お父さんが今でも生きていたら、絶対楽しい老後だったよ」とこぼす。
「面白い人だったから、絶対面白い毎日があった」と。
嘘だ。悪い咳をしながら腰をさする父や、酒を飲みすぎて救急車を呼ばなければいけなかった日常を一緒に見てきたのに。亡くなる前の鬱々とした彼の表情も。私が「どのみち早死にしてたか、看病だよ。あの様子だったから絶対癌か腎臓悪くしてた」というと、要領を得ないように「そうかぁ、そうだよね」と応じる。
父の自殺、夫との急な別れという辛い経験を経て、母も私も今を生きている。辛い記憶を辛いままにして生きるには人生は長すぎるし、自分や彼の人生の一部が不幸なものだったと真っ正直から認めて生きるのにはとても耐えられない。
母は父を愛していたし、父は「良い人間」だったことにして生きる。記憶の中の最上の時間を切り取り、さらに着色加工する。そしてそれが「思い出」として共有される。父の人間としての生々しい記憶はだんだん薄くなって、なんだか彼の輪郭だけが年々色濃くなっている気がする。
でもそれでいいと思う。記憶の美化は、人間が少なくとも正常を保って生きていくために長い年月をかけて身につけたサバイバル能力だと身を持って実感するから。
生身の父はもういない。もう会えない。だから生きている私たちは「私たちの会いたい夫・父親」に会いに行く。

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