大晦日。祖父母の老いと借金への怒り
去年の30日の夜から31日の昼まで帰省していた。
約1.2日。
極端に短い一泊二日の帰省。
母親や家族との関係性が変化するなかで、今の私が実家に滞在できる最大日数。
だと考えていた。
31日、祖父と祖母がいきなり訪ねてくるまでは。
そしてそこに、
私から100万以上借金した義叔父の子供を
つれてくるまでは。
(借金の顛末はおいおい書く予定です)
母も知らされてなかった訪問。襲撃に近い。
たくさんの野菜やら酢漬けやら抱えてやって来た。
祖母は嬉しそうだ。祖父は多くを語らないが笑顔だ。
私は混乱した。
約10年前、義理の叔父と叔母(母の妹)は新卒3年目の私から繰り返しお金を無心した。
私は合計100万以上彼らに借した。
返済はもちろん滞り、「母と祖母に伝える」と話すと「私たち家族は自殺するしかない」と電話口で泣きつかれた。
(自殺ならもう父がしている。)
こんな顛末があるので、義理の叔父と叔母とは10年近く縁切りの状態になっている。
そこにいとこの来訪。
最後に会ったのは彼が保育園に行っていた頃だ。
もういっぱしの青年になっていた。
来年は高校入学だという。
もちろん彼が責められる理由はないし、これまでのやり取りや、今の関係性をどこまで知っているかもわからない。
だから、私は祖父母に怒りを感じた。
祖父母はこれまでの経緯をすべて知っているはず。
「自殺する」という言葉の他にも、多くの罵詈雑言を受け、彼らにされた対応も、伝えていた。あまりに無神経ではないのか。
お金はなんとか全額返済させた。
それでも、10年近くたって、私の彼らへの怒りはまだ収まっていない。
私は学習机においてあった「金持ち父さん貧乏父さん」をいとこに渡すことで、嫌みを含め彼らにわずかな復讐をしたと思うことにした。
そしてなんとかその場をやり過ごした。
書籍と、お茶うけに出された「白い恋人」を手にいっぱいつかんで、お礼をしっかり伝えていとこは帰った。
彼らの帰宅後、祖母に怒りを感じたことを電話で伝えたが、「いとこ同士なんだから」と朗らかに返された。
これが老いるということ、感情が鈍化するということなのか。
実家、祖父母、家族。
私にとってこれまで安心安全が担保されていた空間は、「親戚の家」みたいなぬるい疎外感を感じる場所になってしまっている。
どこにも所属していない感覚。
私から人が離れるのか、私から離れているのか。
後者だろう。
私の大晦日は
「やっぱり実家に帰るとろくなことがない」
という実感をアップデートすること以外起こらなかった。
これまでの累積もあり、年々その感覚は強くなる。
夕方には自宅に帰り、南天と松を飾った。
寝る前もその日の出来事を思いだしイラッとして、そんな感情で新年を迎える自分にもちょっとイラッとした。
あの時父が生きていたら、借金を懇願した義叔父を凄まじい剣幕で非難し凝らしめてくれたかも知れない。
まだ、都合の良いときだけ「良い父親」を思い浮かべている。
今年の年末、私はどこかにきちりと「所属」できているだろうか。
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