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保護者以上、介助者未満の母との関係

母は良く田舎から出て来て水やら米やら野菜やらを差し入れする。どれも重くて一人では運べない。私は買ってきてくれたお礼として都会の街でのランチやらを一緒する。デパ地下や流行りの店。田舎にはない場所。
母は私が子どもの頃からリハビリに連れていき、学校への送り迎えをし、役所に手続きに行き病院に連れていったりした。食材や水の差し入れも、母にとっては幼い子どもの世話と一緒なのだ。
百貨店の段差でも、母はすっとその手を出して私のとを繋ごうとする。30歳の娘と。
私は自立したい。自分で生活を運営して管理したい。母心もわかるが、通販で代用できるし、病院だって自分一人で行ける。
心ではそう思っている。その一方で母と食事に行ったり、旅行することに楽しさと便利さの恩恵を感じているのも事実だ。買ってきて欲しいものを一気に買っていてくれるから手間は省けるし、移動の負担もない。時間と話題の合わない友人のように、無駄な気遣いはいらない。私には運転免許がないので、車で移動すれば通院も買い物も一日で終わる。私はヘルパー利用認定を受けていないので、移動介助などの福祉的支援はほとんど受けられない。気のおけない仲の良いヘルパーのような関係なのだと割りきっているつもりだ。
だが母はそう思ってはいない。母は若いときに結婚してわたしと弟を産んだ。田舎から田舎に嫁いで。「母親」という役割をずっと生きてきた人だから、何よりも頼られること、子どもの世話をすることが自分の存在理由の大きな部分を占めている。私が障害を持って生まれたことで、その使命感はより強くなっていった。私が成長し、障害を自分の工夫と収入と福祉サービスで補えるようになっても、私は彼女にとって、いつまでたっても「自分が保護すべき存在」なのだ。そう思われることは快くないし一定の距離を保ちながら生活したい。私に依存されたくはない。彼女の人生を生きて欲しい。でも、それでも、私の不安が強くなったとき、どうしようもない気持ちになったときに思わず出てくる言葉は「 お母さん 」だ。

障害があって、遠慮なく頼れる存在は母親だけだ。
でも私は母親から離れたい。ずっと母親といると、彼女の依存気質に侵食されそうになる。でも不安なときには思わず声に出してしまう。離れたくても離れられない。どちらの気持ちが本当なのだろう。きっとどちらも本当だから、母に会うたび混乱するのだ。感謝の後に、「また頼ってしまった」と後悔が来る。
私に障害がある限り、彼女は「障害がある娘の母」というアイデンティティーを頼りに生きていくのだろう。私は母がいなくなったらほっとするのだろうか、それともまた別の感情を抱くのだろうか?そもそも母が老いて、私の世話ができなくなったら、彼女は自分を何者だと定義するのだろう。

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