自分の家族が"機能不全家族"だった話

二十歳を過ぎ、今まで"ちゃんと"・"真面目に"生きてきたはずなのになぜか急に生きづらいと感じるようになった。それを友人に相談したところ、自分の家族が"機能不全家族"で、自分は"アダルトチルドレン"だからなのでないか、と言われ腑に落ちたというか、考え方が変わって若干楽になったので、今後振り返る用と、同じ様な境遇の方に「こんな人もいるよ〜」という参考にしていただきたいと思い、経緯や現状をnoteにまとめておくことにした。以下は全て私の感じたことと想像とメモなので、「いや、それは家族なんちゃらのせいじゃなくてただのお前の努力不足じゃね?」というツッコミはとりあえずスルーする。

まず初めに、機能不全家族とは家庭内に対立や不法行為、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト等が恒常的に存在する家庭(※Wikiより)のこと、アダルトチルドレンとは親や社会による虐待や家族の不仲、感情抑圧などの見られる機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人(※これもWikiより)のことである。

私が"機能不全家族"で育った、"アダルトチルドレン"であることを自覚できたのはつい最近のこと。気づくのがこんなにも遅れたのは、家庭内で上記のような明確な(いわゆる児童相談所が絡んできそうな)"虐待"が行われていなかったからと、母親による"洗脳"があまりにも強力だったからだと思う。

私の家族は父母姉。父と母は教員だ。母はいわゆる熱血教師で、昼夜休日問わず仕事に打ち込んでいる。家庭より仕事。生真面目で頑固。正義感が強い人だ。家事は苦手で、ほとんど育児には関与していない。そのくせに子供に過干渉。父は母より1歳年上で、超絶マイペース。すごく熱中している趣味があって、その趣味のために朝まで遊んで、夜家に帰らないことも多かった。家庭、特に教育についてはほぼノータッチ。私も姉も父から怒られたことは1度もない。典型的な無関心で影の薄い父親だ。

最後に姉。姉は幼少期から父母が仕事のために祖父母に預けられていて、かな〜り甘やかされて育った。父母からの圧倒的愛情不足の中、妹である私が生まれ、嫉妬やら欲求不満が爆発し、かなりワガママな性格に成長していった。私からの見た姉の印象は「暴君」。怒ると怖いし話が通じないから大嫌いだった。今でも、年に1回話せばいい方だ。

私はというと、予定日ピッタリに生まれる、夜泣きしない、イヤイヤ期がない、生まれながらの「空気の読める」「聞き分けの良い」「優等生」タイプの子どもだった。母は私をとても可愛がってくれたし、自分の分身のように将来に期待していた。母も幼少期は同じく、「優等生」だったらしく自分を重ねていたのだろう。

我が家の不和は、気づかないレベルで膨れ上がり、ある日破裂した。姉が中学校を連続で休んだのだ。きっかけは「教員である父のことをクラスメイトにからかわれた」からだった。いじめではなかったと聞く。母は『学校に行かない』姉を激しく責めて、姉は幼少期からの愛情不足を訴えて大喧嘩になった。母は教師の子どもが不登校なんて笑い者だと思ったのだろう。少なくとも、姉の気持ちに寄り添おうとしているようには見えなかった。(この時父は"趣味"でよく姿をくらましていた)

姉と母の対立が深まると、母は「勉強のできる」「友達が多い」私を執拗に褒め、持ち上げ、期待するようになった。この時私は小学校高学年。特に勉強が得意だったので、母に「あなたも教員になりなさい」とよく言われていた。私は母が一生懸命仕事をしていることも、仕事に誇りを持っていることも知っていたので、純粋に母を尊敬していたし、母のようになりたいと思っていた。母に反抗する姉の態度が、本当に理解できなかった。この時は。

姉はどうにかギリギリで中学校を卒業したが、かろうじて入ったお嬢様高校(コネで入学した)も1年経たずに退学した。ずっと家にいる姉は、苛立つと壁を破壊したり、自殺願望を口にしたり、大声で泣くようになった。私はこの時の"家"が本当に苦手で、よく遠回りして帰宅した。誰にも相談できなかったし。帰ると仕事終わりで苛立っている母と姉がほぼ毎日大声で言い合いをしていた。(この時も父は"趣味"でよく姿をくらましていた)「良い子」の私はよく姉と比べられ、姉に恨まれた。

私は仕事に家庭に頑張っている母にこれ以上迷惑をかけまいと、自分の「悪いところ」を隠すようになった。これが、本当に良くなかったと思う。友達と喧嘩した、授業中ふざけすぎて廊下に立たされた、部活で失敗した、、、母にとって「良い子」でいるためにそんな失敗や反省を一つ一つを自分で処理して、私は本当は「悪い子」なんだという劣等感に苛まれるようになった。そして完璧を求める自分とのギャップに落ち込んだりしていた。この自己肯定感の低さは、今でも体に染み付いている。

姉は結局、高卒認定を取るための合宿や海外への語学留学に行くことになり、そこから十数年間は家に帰ってこなかった。悲しいことに、姉がいないことで家族は平穏を数年ぶりに取り戻し、父母は心底ホッとしているように見えた。そこから私は最初から一人娘であったかのようにさらに「大事に」「期待を込めて」扱われた。

私はこのころから、将来なりたい職業に思いを巡らせていた。一番は脚本家になりたいと思っていた。歌手になりたかったし、演劇もしてみたかった。部活でやっていた楽器の演奏を極めるのも素敵だと思った。しかし、「教員を目指すのは辞めて、◯◯になりたい」と母に言うと、必ず理由をつけて反対された。お金が、続けるのは難しい、どうせ無理、あの人は失敗している、、、

自分自身が上手だ、得意だと思っていることも、母はなかなか褒めてくれなかった。「すごいね」「プロになれるよ!」嘘でもそう言って、本気で好きなことを仕事にする将来を考えてくれればどれだけ嬉しかったことか。父でもよかった。「お母さんはああ言ってるけど、お父さんはね、、、」こうして私はどんどん自分の得意なことや自信があることがなくなっていった。どうせ失敗する、1番にそう思ってしまうようになった。そして母は最後にいつも「あなたには教員が一番向いてる」「やりたいことが、好きなことがないなら公務員でも良い」と話をまとめた。私はこうして、自分を「やりたいことがない人間」だと結論づけることで、自分を楽にしようとしていた。そうすれば、何も考えなくていいし。何より、家族が喜ぶと知っていたので。

中学校を優秀な成績で卒業し、お金のかからない進学高校に頑張って入学した。が、高校での成績はずっと平均点だった。テストで赤点を取ったこともあるが、もちろん母には言っていない。唯一母に褒められていた「勉強」と言う長所まで失って、私はますます「自信」「特技」「やりたいこと」がなくなっていた。大学は、公務員になりやすく、就職率の高い地方のDランク公立大に入学した。大学でやりたいことは特になかった。親に勧められたから入っただけ。勉強したいことも、興味があることも特になく、母の「何かあったら公務員になれば良い」と言う言葉と「本当は舞台芸術の大学に行きたかったな〜行こうと思えば行けたよな(受験すらしてないけど)」というモヤモヤをお守りみたいに胸に抱いて、なんとなく学校に通っていた。ただ、教員免許が取れるコースは反抗心から受講しなかったので、母が非常に残念がっていたのを覚えている。そんな嫌がらせをするために大学に入ったわけじゃないのに。

そして4年生になり就活が始まると、このまま親の言いなりでいいのか?家族とは距離を置いたほうがいいのではないか?という自分に背中を押され、上京できる環境が整っている会社を何社か受けた。でも、就活をして分かったことは、どれだけ自分がすっからかんで、主体性のない人間かということだけだった。うちの会社で何したい?自分のアピールポイントは?どう成長したい?、、、20年余り生きてきて、自分のいいところは「親の言うことをよく聞くこと」だったので「社会に貢献できる自分の長所」が全然思い浮かばなかったのだ。これが得意だと胸を張れることも、自発的に頑張ったことも、極めたことも、明日死んでもいいからこれがしたい!というこだわりもない。友達が何社も内定を手にする中、私は不採用の通知がどんどん来て、母に弱音を吐きたかったけど「やっぱり公務員にしとけば」「やりたいことなんてないのだから」と言われるのが怖くて(図星だから)、本当に苦しい日々を過ごした。私は本当に社会不適合なのだと落ち込んだ。

自分なりに悩んで挑戦して、ようやく内定を出してくれる会社と出会った。そして晴れて家族から抜け出して、上京。したが、時が過ぎ2年半経った今。私はその会社を辞める。

この2年半は、すごく大変で、刺激的だった。「良い子」の私は仕事ができてなんでも言うことを聞く新入りとしてすごく歓迎された。今まで家庭でしてきたように、脳死状態で周りに合わせてうまく立ち回ることは楽だったけど、辛かった。結局、得意だと言えることは何もできなかったし、ポジションは2年半働いても「何でも屋さん」のままだった。

上京して一番感じたのは、東京の人の心地よい無関心さだ。私が何を食おうが、何を感じようが、全然気にしていないように思える。やりたいことをやりたいようにすればいいんじゃない?あなたの人生だよ?勝手にすれば?と言ってくれる友達がたくさんできたことは、本当に心の支えになった。あと、自分と同じような生きづらさを抱える人ともたくさん話すことができた。"機能不全家族"、"アダルトチルドレン"もその友人から教えてもらった。大切なのは自分が「そうである」と自覚すること。この生きづらさは、自分だけのせいではないと割と楽観的に捉えること。考え方ひとつで、違う人の人生のように思えた。

これから私は、自分の生きづらさを自覚した上で、可愛いくて大好きな自分が1秒でも楽しく生きられるように、自分の得意なことや好きなことを色々やっていこうと思う。この下がりきった自己肯定感を、少しでも早く取り戻すことができるだろうか。

家族とは、距離を置いている。次の就職先を決めずに今の仕事を辞めると言うと、相変わらず「地元に帰ってきて公務員試験を受けろ」と言ってきたのでもう連絡をとるのも辞めた。姉は外国人と結婚したが、子供を作る気は無いらしい。私はそれでいいと思っている。

私は、箸の正しい持ち方も教わらずにここまで成長してしまった。家族がちゃんと機能していなかったこと、私は本当に後悔している。生まれてきた家族は変えられないし、自分が違う!と思えば必ずしも「自分を育ててくれた人のようになるために」「誰かの期待に応えるためだけに」頑張らなくてもいいと思う。

得体の知れない生きづらさに名前と原因がついて、少しでも楽になりますように。