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「夢」で見ていた仕事を

何年も前から、同じ夢を見ていた。
「願望」の方ではなく、寝ている時に見る方。

夢の中の僕は、どうやら決まったルーティンで一週間を過ごしている。
月水金は、昼間から映画を観に行っている。
火木土は、その映画の感想文的なものを原稿用紙に書き、書き終えたらポストに投函している。
夜は趣味の格闘技の稽古。日曜日は休み。

こんな生活で、なぜか食うに困っていない。ということは、「映画感想文」でお金をもらっているのだろう。
なんだその楽しい仕事は。
特に「映画評論家」や「映画ライター」になりたいと思ってたわけでもないのに、そんな夢をよく見ていた。

僕が初めて正社員になったのは、29歳の時だ。
それまで何をしていたかというと、小劇場演劇をしていた。ギャラなんか貰ったことはない。そもそも小劇場演劇というものが、あまり商業ベースのものではない。「大の大人の壮大な趣味」の世界であり、「趣味の世界」であるからして、そこに報酬は発生しない。
当然食えないので、アルバイトをする。「芝居をやっています」と言っても、世間一般には「大学まで出してもらいながら、いい年してフリーターをしているただの親不孝者」だった。

芝居に見切りをつけて初めて就職したのは、町の小さな鉄工場だった。ネジやらボルトやらを作っていた。
そこで、NC旋盤という機械を任された。NC旋盤とは、コンピューターにあらかじめ寸法やら削る方向やらなんちゃらかんちゃらをプログラミングしておけば、後はコンピューター制御された旋盤が次々とネジを削ってくれる夢の機械。
ただ、僕は忘れていた。僕が「コンピューター」と名のつく物は、全て吐くほど苦手であるということを。
まず、僕は「超・文系」であり、数式やら図式やらを見ると頭が破裂する。しかも、その数式やら図式やらを自分で考えねばならんのだ。
そして、出来上がったネジの寸法の許容範囲も「±0.04㎜以内」とか、もうミクロの世界なんである。
基本、僕はおおざっぱに出来上がっているので、ノギスで測っても許容範囲内なのか外なのかさっぱりわからなかった。
「仕事選びを間違えた!」ことに気づいたが、もう遅い。

ある日、同時に痔と水虫とインキンになった。
ストレスが、一気に弱い箇所に出たのだと思う。
わざわざ電車に乗って、家から離れた薬局に行った。
「……痔と水虫とインキンの薬をください……(消え入るような声で)」
「その全てに効く薬はありません(冷たく)」
「ほな、痔の薬と水虫の薬とインキンの薬をください!!(逆ギレ)」
痔と水虫とインキンは、薬ですぐに治った。その後今日まで、痔にも水虫にもインキンにもなっていない。相当のストレスだったのだと思われる。

痔と水虫とインキンは治ったが、今度は重度の便秘になってしまった。
僕は昔からお腹が弱い方で、基本的にストレスを感じるとお腹を下す。それがこの時は逆に、便が出なくなった。
一週間ぐらい便が出ず、食べても吐いてしまうようになった。ある夜、動けなくなり、救急車を呼んだ。
腸閉塞になっていた。ストレスで。
十日間入院した。仕事も辞めた。

退院後、小さな食品工場に拾ってもらい、今に至る。
三十近くまで、就職せずにフラフラしてた人間を拾ってくれる会社だ。給料はタカが知れている。だが、安月給ながらも生活は安定し、自分には無縁だと思っていた結婚もした。
僕の仕事は、フォークリフトに乗って原料の入荷や搬入、製品の出荷などを担当している。人力で、品物を積み下ろしする作業も多い。肉体労働だ。僕の性には合っている。ノンストレス。
夜は、趣味である格闘技の稽古。コンスタントに試合にも出て、勝ったり負けたり。

きっと、定年までこの生活が続くんだろうな。
特に不満はないはずだが、たまに冒頭の夢を見るようになってきた。

定年まで続くと思ったルーティンは、昨年突如として打ち破られた。
例の伝染病のせいだ。
道場稽古が自粛となり、夜の時間を持て余した。
そう言えば文章書くの好きだったよなと、noteでブログ的なものを書き始めた。
しかし、長らく文章を書いていなかったせいで、僕は少しバカになっていた。語彙がなくなっていた。
「押忍」と「お願いします」と「ありがとうございました」と「失礼しました」だけになっていた。
さすがにこれではいかんと、僕はブックオフに走った。目についた中島らもさんの本を買い込み、貪り読んだ。脳みそに栄養が行き渡るような気がした。
脳みその栄養失調も治ったので、ちょこちょこnoteで書き続けた。ヒマだし。
それなりに書けるようになると、今度は欲が生まれた。
「文章を書いてお金をいただくことは出来ないか」と。
恐ろしい。神をも恐れぬ所業。
とりあえず、人には言わないようにした。

一年後、文章を書いてお金をいただいた。

映画評である。映画の「感想文」でお金をいただいてしまった。
夢が現実となった。
いや、これで生活できているわけではないので、正確にはまだ現実となってはいない。
ただ、自分の原稿が掲載されていることを確認した時には、涙が出た。大げさに思われるかも知れないが、それだけ僕は感動したんだ。
嫌らしい言い方だけど「お前の文章には金を払う価値がある」と、言ってもらえたような気がした。

実はnote内のコンテストにちょこちょこ応募しては、毎回落選していた。
noteを通じて仲良くなった人たちが次々入選するのを祝福しながらも、僕はどんどん劣等感に苛まれていった。
少し書くことが嫌になりかけた頃、ダメ元でこのサイトのライター募集に応募した。

もう一本エッセイも納品しているので、それも程なく掲載されるだろう。ありがたいことに、次のエッセイと映画評の依頼も、引き続きいただいている。そちらの原稿も、そのうち掲載されるだろう(ボツにならなければ)。
このサイトの編集長様には、足を向けて眠れない。編集長様がどこにお住まいか知らないので、もしかしたら毎晩足を向けて眠っているかも知れないけれど。

ただ、そうやって掲載されることに、慣れてしまわないようにしなければ。
初めて掲載された時の涙を、忘れないようにしなければ。
書くことに、真摯に向き合って行かなければ。

もし僕が、メディアに文章が掲載されることや、文章でお金をいただけることに慣れてしまい、挙句の果てには「原稿料安いねん!」とか文句を言い出したら。
その時は、書物の神・トト神よ。
罰として、僕を再び、痔と水虫とインキンにして下さい。



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