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AIは人間から「奪う」のか? ―『僕とアリスの夏物語 人工知能の、その先へ』(谷口忠大著。岩波化学ライブラリー、2022)

人工知能(AI)とひと夏の青春物語

舞台は今よりAI技術が発達した近未来の街。
自宅に引きこもっている少年のもとに、謎の美少女がやってくる。
何か秘密があるらしい少女に振り回される少年。
幼馴染の少女やライバルの同級生なども登場する、ひと夏の成長物語…
こんな青春小説と、現役の情報工学者による「本気のAI解説」が同時進行するのが『僕とアリスの夏物語』だ。

それぞれの章が小説パートと解説パートに分かれていて、小説と人工知能(AI)入門書のどちらとしても読めるようになっている。
何となく話の筋を追いかけているうちにAI技術に対する興味が湧いてくることもあるだろうし、真面目な勉強の合間に少年少女の青春物語を楽しんでも良い。
読者は少女「アリス」の成長を通してAIと共存する未来について考え、人工知能にとどまらず未だ完全には解明されていない人間の知能についても思考を深めていくことになる。

作者の谷口忠大先生はビブリオバトル(参加者がそれぞれ面白いと思った本を紹介し、もっとも「読みたい」と思わせた人が優勝するゲーム)の考案者でもある。
この本がビブリオバトルで紹介されるとしたら、それこそ十人十色の読み方と紹介が期待できそうだ。

以下は、AIという言葉は知っていても具体的にどんなものか説明しようと思ったらまずGoogle検索で「AI 人工知能 とは」と検索をかけるタイプの人間による、大変偏りのある読み方である。
(ネタバレにはまったく配慮していません)

「AIに仕事を奪われた」人

青春小説なので、主人公たちには「怪しい影が忍びより……!?」(表紙裏のあらすじより)という展開もある。
ただしこの物語はあくまでもAIの解説が本命なので(岩波化学ライブラリーは、自然科学分野を幅広く・わかりやすく・楽しく伝える科学読み物シリーズ)、あんまり壮大な話にはならない。
怪しい影の正体は「ライバル少年のお父さん」だ。

もとは最新のAI技術を一般に紹介するジャーナリストだったが、息子に言わせると現在は「ほぼ腐っている」ゴシップ記者。
解説パートによると、この人はもともと最新の研究成果(殆どは英語で発表される)を翻訳・要約することで競争力を得ていたのだが、AIの翻訳や自然言語処理が進歩した結果、仕事を失ったらしい。

「AIに仕事を奪われた」人として登場する彼は、AIに関するスキャンダルをでっちあげて再び世間の注目を集めようとしている。

仕事を「奪った」のはAIか?

とはいえ、AIの普及で仕事がなくなるのは他人ごとではなく、ライバルの父親に同情する読者もいるかもしれない。
(将来AIに代替されるかもしれない仕事は全職業の49パーセント…2012年の調査結果だというから、現在はもう代替えが進行中かも?)
しかし、彼の仕事がなくなったのは本当にAIのせいか、という問題がある。

人力でしていた「仕事」が技術で代替できるようになったことで結果的に仕事がなくなるのであり、仕事を奪うのは「技術を使う側の『人』」だということは解説パートでも指摘されている。この視点で見てみると、彼は仕事を「奪われた」というより「失うべくして失った」可能性が浮上してくるのだ。

たとえば、AI技術のコメンテーターだったはずなのに、フィクションにすぎない「ロボット工学三原則」を真に受けている所。
アイザック・アシモフの小説『われはロボット』が発表されたのは1950年。現在からみても70年以上前の古典文学を現実のAIに当てはめるのは専門家のすることではない。
この物語もフィクションだが、「本気のAI解説」でもあるので、AIにロボット三原則は通用しないのだ。

ここからは私の想像になるが、この人は英語は堪能でも、AIそのものについては専門外だったのではないだろうか。
AIという存在が珍しいうちは紹介するだけで仕事になった。ところが当たり前のものになりすぎて「最新のAI技術」に対する一般の関心が低下し、仕事が減る。そんな状況でAI一本で活躍できるほどの専門性はなく、新しい「最新」を探す嗅覚に優れているわけでもない。
本人のスキル不足というか、そもそもジャーナリストに向いていなかった可能性もある。

AIに「奪われる」もの

明らかな小悪党かつ職業選択も間違えていそう、と良い所のないライバルの父だが、普段の顔や本人の事情がある程度開示されているキャラクターには、なんとなく親しみがわくものだ。
家にいるときは息子と食事を共にしているようだし(会話はほぼないようだが…)、DVもなさそう(息子に軽蔑されているが怯えられてはいない)などの点から「まだやり直せるんじゃないかなあ」と思わなくもない。
できることなら、このまま終わってほしくないな…というのが、恐らく彼と同年代であろう私の感想である。

対照的なのが最初から最後まで一度も登場しない主人公の両親で(父親は物語の冒頭でLINEらしきアプリから短いメッセージを送ってきたが…)、読者の視点からは夫婦ともに著名な研究者であること、ほとんど家にいないことしかわからない。
そして小学6年生の息子を、赤ん坊並みの判断力しかなかった小学生サイズのロボット(パワーもそれなり)と一対一で自宅に放置した……正確には、本人に無断で自発学習するAIの実験に巻き込んだ……のは、親としても研究者としてもまずい。
私が妙にライバル父のかたを持ちたくなるのは、半分くらいは彼らのせいである。

まあ、案外両親の方も引きこもりの息子をどうしたらよいのか悩んで、ロボットの世話をさせることで何かのきっかけを作ろうとしたのかもしれない。
何より「青春小説」なのだから親は必要ないし、いても困る…という考え方だってできる。
しかしながら……人間と変わらない見た目のロボットが存在し、自発的に学習して成長するAIが開発されているこの世界では、親がいなくて良い(いない方が良い)は洒落にならないかもしれない。

物語の中で引きこもっていた少年に周りの人との絆を取り戻させるのはロボットの美少女だし、やさぐれた少年に人生における貴重な教えを授けるのは腐りかけの父親ではなく「どっかのユーチューバー」だ。
ユーチューバーは多分人間だが、今後AIユーチューバーが登場しないとも限らない。
人間と変わらない発達段階を踏んで成長したAIは人間と変わらないパフォーマンスをしてくれるかもしれないし、インプットしたデータによっては人間より実践的なアドバイスをしてくれる可能性だってある。

人間関係は様々な役割や感情で結びつく多角的なものだから「友達がいるから親はいらない」とか「仕事仲間がいるから恋人は不要」などという人間は滅多にいない(はず)。
進歩したAIが人間と親密な「人間関係」を築くとしても、それは関係を築く相手の中にAIが含まれるようになるだけで、AIが人間にとって替わるわけではないはずだ。

ただし技術で代替される仕事のように、元から希薄だった関係が親密なAIの登場でとどめを刺される可能性は十分にあるので、その時になって「AIに奪われた」などと的外れな恨みを抱かないようにしたい。
仕事を奪うのが「技術を使う側の『人』」なら、人間関係を奪うのは「関係の対象にAIを選択した『人』」に違いないのである。

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