明日は何が起こるか分からない人生を生きている
2024年の幕開けに起きた
大変な出来事
能登地方を震源とする
大規模地震により
たくさんの方々が犠牲と
なられました
目の前で震災を体験した方々の
その怖さは
深いところに刻み込まれ
忘れようとしても
なかなか消えるものではない
でしょう
こんな時
私たちにとって大事な姿勢とは
何でしょうか
それは
正しく恐れる
ということです
日本に住む私たちにとって
この地震は
どこに居たとしても
他人事ではありません
いつどこで誰にだって
起こり得ることです
自分に起きていることではない
自分は大丈夫
と構えているのは
正しい態度ではありません
かといって
怖い恐い
と言ってオロオロする
不安に駆られ絶望する
これもまた違います
自分にいつ起きてもいいように
備える
この福厳寺がある地も
南海トラフ地震の脅威があるし
首都圏にも
直下型地震の脅威があるし
富士山が噴火する
との話もあるし
何処で何があるのか
分からないのです
だから誰にとっても
他人事ではない
という前提で
いざという時のために
出来る準備をしておく
これが
正しく恐れる
という上で
まず大事なことです
その時
に備えて訓練をしていても
いざ事が起きた時には
想像を絶する大惨事
になる可能性があります
当事者ではない人々にとって
能登の地震も
かつての東北の地震も
時間がたてば風化していくのです
当事者ではないと
どこかで他人事なのです
例えば
家の補強をしたり
液状化の可能性があるなら
このまま住み続けて良いのか
等々
考えておいた方が良いのです
そうは言っても
長年住みついた家を
この土地を
そう簡単には
出てはいけないことでしょう
540年続くこの福厳寺だって
個人の家ではないからこそ
余計に
そう簡単には放り出すことは
出来ないのです
この500年続いた曹洞宗のお寺を
自身で立ち上げた佛心宗をもってして
後の500年に繋いでいくには
どうするか
を考えなければいけないのです
今は
東北の震災をお手伝いをした
その教訓から
出来ること
をやっています
お寺の弱いところを
毎年少しづつ補強をしています
新たな取組みのために
建物も増やしているのですが
資金をやりくりして
耐震の施策をしており
いざ災害が起きた際には
避難所になり得る
と考えています
指定避難所というのはありますが
限られた人数しか
対応できないのです
やはり
お寺や神社がある土地
というのは
古くから地盤の固いところ
を選んで建てられているので
ある意味で
その恩恵を受けている者として
何らかの形で
人々を受け入れられる
準備をしています
何かが起きた時の
備えをしています
先人たちの悲しみや苦悩から
何かを学んで
私たちが出来ることがあるなら
しておく
最低限の準備もせず
やみくもに怖い恐い
と言っている
これは
正しく恐れる
ということではないのです
お釈迦様は
私たちの人生を
諸行無常
と仰いました
私たちは
明日は
どうなるか分からない人生
を生きている
のです
今日
何をすべきなのか
今日
私の命があるうちに
何を成すべきなのか
怖い恐い
という感情に翻弄されず
しっかりと
考え行動する
いつどこで何が起きるか
分からない人生
を
どう生きるか
明日
自分に
何かが起きる
という前提で
堂々と
明るく生きる
これが私たちがとれる
唯一の道であり
最良の道なのです
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