すぐ怒る人

世の中にはすぐ怒る人がいます。

何をそんなに怒る必要があるのか分からないような些細な事でブチギレたり、冷静に指摘したり話し合いをすればいいような事でいちいち声を荒げる大人が意外と多くて驚きます。

怒りとは悲しみ、後悔、挫折感、自己嫌悪などの満たされない心が生み出します。

その自分自身の中に生まれた怒りを他者にぶつける事が怒るという行為だと言えます。

心に宿る怒りそのものと怒るという行為は別に存在しています。

つまり怒りを抱えていてもそれを心に留めて、他者にぶつけるのではなく表現を変えて伝えると言う事が可能なハズなのです。

しかし世の中にはそれができない大人がたくさんいるのが現実です。

ではなぜそれができないのか。

まず自分の心に宿った怒りを.怒るという行為に出さない為には、自分の心に今怒りが芽生えているという理解が必要になります。

その理解が浅いために自分の感情や行動をコントロールできないのです。

自身の心の理解と言うのは経験によって深まっていくと考えられます。

しかし何十年も生きていて.経験をたくさん積んでいるハズの大の大人が自分の心をコントロールできず怒り狂っている様をしばしば見かけるのはいささか疑問です。

つまり経験する事とその経験を経験値として蓄積させる事は別物であると考えられます。

目の前に起きた出来事や心の反応に対してただただ身を任せ流されるままに生きて.自分の頭で考えようとしなければ、自身への理解と言うものは得られません。

それはただ無駄に長く生きているだけに過ぎないのです。

野生のポケモンに出会った時、目の前のポケモンを如何に倒すかを考えるのではなく、逃げると言う選択をし続けている状態です。

それでも先に進んでいく事はできるかも知れませんが、その先で必ず自分の手に負えない相手にぶつかってしまいます。

するとそのバトルで主導権を握るのは自分ではなく相手になります。

つまり自分のコントロール下に置く事ができなくなり、目の前の大きな力に振り回され身を任せるしかなくなってしまうと言う事です。

すぐ怒る大人は人生で起こる出来事を、自分を理解する為の経験値とするのではなく.逃げて避けて怯えて生きてきた臆病な人と言えます。

なのですぐに声を荒げる大人に出会った時、その人は恐れる対象ではなく.同情の念を抱く対象であると言う事を忘れてはいけないなと思いました。


以上でーす。

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