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夢の向こう側に行けなかった話①

2017年8月29日火曜日。 
何度携帯を変えても同期されるカレンダー機能が、私が上京した日を伝えてきた。

4年。

長いようで短い期間。この間に私は何度も絶望し、その度にしつこく、この東京という街に大した理由もなく縋り付いてしまった。

いや、大した理由がないというのは嘘かもしれない。

東京にきてからの4年間は、私にとって宝物であり、呪いだった。



第一志望の東京の会社に「新卒の採用は予定しておりませんでして。」と大学4年の頃に断られ、私は地元の歯医者に就職した。

歯科助手や受付として仕事をこなす日々は、安定していて特に嫌なことも特になかったが、どうしても第一希望の会社を諦めることが出来ず、その1年半後に再度その会社に連絡することになる。

学生時代と同じように「申し訳ありませんが、未経験者の方の募集はしておらず…。」と断られたが、その時の私はしぶとく「アルバイトでも、雑用でもなんでもいいので入れてくれませんか」と懇願し、なんとか課題提出までこぎつけた。

地方からのアルバイト応募は前例がなかったため、課題提出をパスした後は、特別に電話面談が設けられた。

その際に人事担当者は「あの、アルバイトの方にも試用期間がありまして…」と口籠もりながら切り出し、「東京に引っ越してきていただいても、試用期間終了後に不採用となる場合があります」と私に伝えた。

なんとも酷な話ではある。

しかし、どこから来ようが、どれだけの思いがあろうが採用側には関係のない話。むしろ、その話を事前にしてくれただけでもありがたい。

私が「問題ないです」と答えると、担当者は少し驚いた様子で「かしこまりました」と良い、「合否につきましては、また改めてご連絡します」と続けた。

今思い返しても、無謀だなと思う。

それでも恋い焦がれるような熱意を持って働きたいと思える会社は、今思い返しても、そこが最初で最後だった。

一言で片付けるなら、私はまだ若かった。
だからこそ、何も考えずに突っ走れたのだろう。


そこから数週間後、私は東京にある会社にいた。

ありきたりな表現を使うなら、口から心臓が飛び出そうになるくらいに緊張しながら。

「何回も連絡してくれたんだってね」

と編集長は言い、私と電話面談をしてくれた人事の人も「数年前にも連絡してくれていたみたいで」と付け足した。

「どうしても、働きたくて」

と私が答えると、その編集長は少し笑いながら私の持ってきた履歴書に目をやった。

そして

「奈良から、この日のためにここまで来てくれたの?すごいね」

と驚いていた。

夢の入り口に立てるなら、大したことじゃない。

夜行バスで8時間かけてアルバイトの面接のためだけに東京に来るだけで、少しでも夢に近づけるなら。

そんなこと、大したことじゃないのだ。




合否連絡は、3日後に届いた。

仕事の休憩時間に震えながら開いたメールには、ずっと欲しかった「採用」の文字があった。

考えるより先に、感動するより先に、一筋涙が流れた。

「ああ、諦めなくて良かったな」

と、自分のしぶとさに改めて感謝しながら、これから飛び込む世界の厳しさに改めて覚悟した。

当時の私は正社員として働き、ボーナスも、有給もあり、プライベートでは交際3年になる恋人と、3LDKの新築の家で同棲をしていた。

自分の夢の為に、私は自ら安定した幸せにピリオドを打った。

クリニックの院長は残念そうにしながらも私の背中を押してくれたが、当時の恋人は「遠距離は絶対無理」と言い張っていたため、別れることになった。

最後まで一度も彼は「頑張ってね」とは言わなかった。

そういう人だった。

でも、それで良かった。自分の幸せのために、誰かを傷つけたのだから、優しくしてもらおうなんて、応援してもらおうなんて、虫のいい話なのだ。


まだ暑さが残る、夏の終わり。

そうやって、私は上京した。

憧れの会社で、芸能記者として働くために。


東京での日々は、想像以上に大変だった。

友達もいない、人生初めての一人暮らしと、仕事の慣れなさで毎日くたくただった。

3LDKの新築の家から、高円寺の1Kの狭い木造アパートで暮らし始めたのに、家賃は同じ。

せっかく東京に来たけれど、アルバイト生活の私には贅沢なんてする余裕など1ミリもなく、毎日自炊し、出来る限りお弁当を作って会社に行った。

お弁当が作れない日は駅前で当時250円だったすき屋の鶏そぼろ丼か、近くの中華屋さんのまかない飯を食べた。

当時大好きだったヴィヴィアンやヨウジヤマモトの洋服も、片っ端から売り払った。

一人でいる時は出来るだけ節約し、わずかに貯めたお金をたまに遊びに行く友達との予定に回した。



生活はガラリと変わった。

それでも、私はその仕事がしたかった。

仕事だけが、あの頃の私には生きる気力であり、希望だった。



東京に上京して1年以上が経った頃。

上司のサポートも大きく、私の夢は思ったより早く叶うことになる。

念願叶って入社した会社で、芸能記者として取材し、インタビューできるようになったのだ。

友人や家族に報告すると、それはそれは喜んでくれた。

もちろん私も家で一人でいつもより高いお肉を買ってお祝いした。

何もなかった田舎のOLが、東京で長年の夢を叶えたのだ。

なんとも綺麗なハッピーエンドである。




これが、物語なら。




綺麗な物語は大抵、ハッピーエンドで幕が下りる。

だからこそ、美しい。

そこからどうなったかなんて、ほとんどの物語では描かれない。


ただ、これは現実なのだ。

起承転結。はい、おしまい。では終わらない。


夢が叶っても、物語は続く。

そこから第二章が始まる。


また「起」から物語が始まるのだ。

私は、それを考えていなかった。


ずっと「夢」を叶えるためだけに走り続けた。


だから、その夢に手が届いた時、一瞬で世界は真っ暗になった。


私は、夢の向こう側に行くことができなかった。

※続きます。2021.08.29

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