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繊細で脆いわたしの心の話|HSPのうつ体験

こんにちは、うたたねです🌜
今日は、鬱についてのお話をしたいと思います。
ちょっと暗い話になってしまうけど、わたしの人生の中ではとても大切な時間だったと感じているので、何年たっても忘れてしまわないように記録しておきたかったんです😌


うつになったきっかけ

わたしが鬱になったのは、仕事でのストレスと当時お付き合いしていた人との関係性の悪化が原因でした。

仕事は、学生時代のころからの夢を叶えたもので、就職したときは本当に自分を誇りに思えたことを記憶しています。
いまでもその仕事には未練があるくらい、仕事内容には満足していました。

しかし、職場風土がどうしても自分に合いませんでした。
昭和気質で男性社会。
特にしんどかったのが、飲み会でした。

お酒が飲めないわたしにとって、数時間酔っ払いの相手をする時間は地獄のように感じていて、そんな中何度も幹事を任され、もともと人と表面上の付き合いをするのが苦手だったこともあり、どんどん疲弊していってしまいました。

上司や先輩に相談しても何も改善策は見つからず、挙句の果てには会計後の居酒屋で2時間も、飲み会が楽しめない性格について説教をされたり、翌日落ち込んでいると社会人失格だと叱られたり。

仕事のこと以外で、人間性について否定されたような気がして、とても苦しかったのを覚えています。

そして当時の彼氏との関係も悲惨なものでした。
彼とは学生時代からのお付き合いで、職場が近かったこともあり同棲をしていました。

彼は私より先に、仕事のストレスで鬱になっていて、病院では双極性障害と診断されていました。
いわゆる躁状態と鬱状態の変動が激しく、最終的には怒鳴ったり、暴れたり、お金をものすごく使ったり、かと思えば死んでしまったかのようにベッドから動けなくなってしまったり、死にたい死にたいと嘆いていたり。

彼を支えなくてはと思っていたわたしは、仕事を休むことも家事などを頼ることも出来ず、自分にも出ているおかしな症状に気づくことも出来ず、苦しんでいました。

体調不良とうつとパニック

わたしの体に最初に現れたのは、体調への変化でした。

毎日続く頭痛と眩暈、耳鳴り。
激しい動悸。
定期的に五感が遠のいていく感覚。
1カ月続く不正出血。
化粧ではとても隠せない赤黒い顔色。

最初は、なにか病気があるのかと思いました。
産業医や上司とも相談しながらさまざまな病院を回り、たくさん検査をして、それでも何も異常は見つからず。

ストレスだと信じたくなかったです。
だって、ストレスの原因は明確で、夢だった仕事や、今まで一生懸命守ってきた彼を手放してしまえばわたしは元気になると、認めてしまう気がしたから。

とにかく体調不良の毎日でしたが、しばらくすると鬱とパニックの症状が出てきました。

家事ができず、家がゴミ屋敷に。
仕事以外の時間は寝たきり。
餌のような食事。
休日はトイレ以外はベッドの上。
突然襲ってくる絶望感と溢れる涙。
会社で起きるパニック発作。
職場のトイレにこもって呼吸を整えながら涙をひっこめる日々。

気づいたら人間としての生き方ができなくなってしまっていました。
今思い出しても、本当にぞっとするような状態を送っていました。
いま元気で幸せでいられていることが不思議なくらい。

自分が変わったとき

そんな人生どん底気分でなんとかぎりぎり生きていたころ。
ある日の夜中、彼氏と大喧嘩になりました。

お互いに興奮してしまっていて、自分がいかにつらいかを攻撃的な言葉でぶつけ合って。
わたしはそのころ、毎日暴言を吐かれていたこともあり、精神状態は限界でした。

そのため、今回ちゃんと話し合わなきゃ、どうにかしないとお互い本格的に壊れてしまうと思っていて、しかしそれは空回りして、彼をより一層追い詰めることになってしまいました。

結果、彼はわたしに暴力を振るい、わたしは心身ともにぼろぼろに。
反撃することだってできたと思うけど、そんな気にもなれず、ただただ悲しかったのを覚えています。

そのとき自分の中でいろんな感情ばらばらに砕けた音のようなものが聞こえて、いままで積み上げてきた何かが崩れていくのを感じました。
彼の暴力が終わった後、わたしはその夜は眠らずに、母親にそのことを伝え実家に帰らせてほしいと頼みました。

両親はわたしのぼろぼろさに驚いていたし、悲しんでいたし、心配していたけれど、そんな中でも、「ちゃんと頼ってくれて、逃げてきてくれてありがとう。本当に強い子だね」とわたしを褒めてくれました。

療養生活

その後のわたしは元カレといろいろあったけど、何カ月かかけて無事にお別れすることができて、仕事も休職してとにかく実家で休みました。

元カレとのことは、いまでもずっとトラウマだし、思い出すと怯えてしまうけど、それでも恨んでいません。
きっと彼はわたしを恨んでいるけれど、お互いおかしくなっていたのだからああなっても仕方なかったと思います。
むしろわたしが追い詰めてしまった部分もあったので、もっと早くお別れしたらよかったかもしれないと申し訳ない気持ちです。

療養生活の最初は本当に寝たきりで、感情が抜け落ちたように何も感じないのに、絶望感だけはたまに襲ってきやがって。
でも数カ月休んでいると、不思議と自然に良くなっていきました。
何かをする元気が湧いてきて、最初は一人で外に出ることも出来なかったのに、一人でコンビニに行けるようになって。
アニメを見れるようになって、スキだった読書やゲームが出来るようになって。

次第に人間らしい生活をするようになりました。

いまの旦那さんとの出会い

療養生活を送っているうちは、誰かに連絡をとって相談したり、遊びに行ったりをするなんて考えは全く浮かびませんでした。
不思議だけど、余裕がないとか人と話したくないとか、そんなんじゃなくて人に甘えるみたいな考えが全く浮かばなかったんです。

そんなある日、旦那さんからラインのメッセージが届きました。
旦那さんは会社の同期なのですが、わたしが休職していることに唯一気づき、心配して連絡をくれたのです。

もともとは特別仲が良いわけではなく、会社で会えばちょこっと近状報告する程度の仲だったのに、わたしの休職に気づいて連絡をくれたことに本当に感謝しています。

最初こそ、鬱症状で人との連絡も気合いが必要だったわたしだけど、だんだんと旦那さんとの連絡が楽しく感じるようになり、電話が出来るようになり、外にデートに行けるようになったり。

旦那さんと接している中でたくさんのことを学び、成長し、回復し、わたしはいまとても元気になりました😊
本当に本当に感謝、ありがとう。

精神疾患に完治はないと思うけど

わたしはいま、復職をして、今までのようにバリバリは働けないけれど、サボりつつ、病気の配慮をしてもらいつつ働いています。
旦那さんとは1年のお付き合いを経て結婚をして、いまは本当に幸せです。

うつが治ったかと言われると、わかりません。
周りから見ると治ったように見えているかもしれません。
でも、たまにどうしようもなく無気力になってしまったり、落ち込み方が普通でなかったり、生きている意味をずっと考えてしまったり、そんな日もあります。
不眠の症状はいまでもよく出るし。
鬱の足音に怯える日々です。

わたしは、精神疾患に完治はないと思っています。
だけど、そういった症状と上手く付き合っていくことはできると思っています。

わたしは、悩みを一人で抱え込んだり、限界まで挑戦しようと考えたり、出来ることは全部自分ひとりでやろうとしたり、完璧を追及したり、そういった思考の癖がありました。
というか、基本的にはいまもあります。

しかし、昔と比べたらかなりマシになりました。
辛かったらサボるし、旦那さんや家族に遠慮なく泣きつくし、弱音を吐くことはみっともなくなんてないし。
そう思えたら、弱い自分も少しずつ認めることができてきて、大嫌いな部分も含めて自分だとちゃんと理解できてきて。

別に鬱の症状がたまに出ちゃうから何なの?
世の中には、計算が苦手な人もいるし、漢字が読めない人もいるし、風邪を引きやすい人も、朝起きれない人だっているんだから。
わたしは人よりちょっと暗いところもあるけれど、それでも別にいいじゃんっていまは思えてます✌🏻

長くなったけど、これがわたしのうつのお話。
これでも大分はしょったのに、なんでこんな長文になっちゃったんだろう(笑)

わたしがうつを乗り越えていく中で考えていたことや、実際に療養していく中で学んだことなどは、また細かく記事にしてまとめていきたいと思います。
気になる方はぜひまた、覗きに来てください。

今日も最後まで読んで下さりありがとうございました。
ゆっくり休んでね🕊️

うたたね

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