HSPを知って逆に辛くなったこと
わたしはHSS型HSPの気質がある。
この気質を知ってから、生きるのが楽になった、というか、ぼんやりと感じていた自分の生きづらさの輪郭がはっきりしてきた。
なるほど!わたしが生きづらいのには、こういう理由があったのね!
HSS型HSPについての情報を見るたびに、そう思った。
皆さんはどうなのかな?
HSPって言葉が流行り出してから数年経ったけど、HSPを知ることで生きやすくなったかな?
わたしはね、生きやすくはならなかった気がするんだ~。
なんか、生きづらい理由もわかったし、生きにくい仲間が世の中にたくさんいることも分かったんだけど、逆に辛くなることもあったの。
たとえば、変にコミュニティーっぽくなってしまうときとか。
わたしはtwitterを中心にHSPをはじめとした生きづらさについて発信をしていたときがあった。
四年前くらいかな?
そのときは、HSPというカテゴリーでくくられることにすごく安心感を感じていて、「わたしもHSPなんです!」みたいなコメントを読んではほっとしていた。
でも気づけば、HSP界隈みたいなものができていて。
リーダー格の人はフォロワーがたくさんいる人で、その人に嫌われたらブロックされてあることないこと悪口書かれて。
そういうところも見てきて、なんだかSNSの闇を感じた。
それから、そういう時って大体「本当にHSPなの?」って言葉をみんな口にするの。
気持ちはわかる。
本当に繊細なら人の気持ち察して発言するから、こんなふうに嫌われるようなことしないでしょ?みたいなところだろう。
実際わたし自身も思ってしまうときあるもん。
でも、それで責めるのはちょっとおかしいと思いませんか?
それで責めるような発言をしているあなたも、また別の人から見ると「本当にHSPなの?」ってお話になっちゃうよ。
わたしはそんなことで悩み始めてさらに生きづらさを加速させてしまい、もうHSPというカテゴリーにしがみつくのは辞めようと決めた。
わたしは、HSPっぽいところはあると思う。
特にHSS型HSPについては、わたしの説明書ですか?ってことが特徴に書いてある。
でも、HSS型HSPのうたたねって人から思われるのは嫌だな、窮屈だなって思う。
ふつうに一人の人として「うたたね」として見てほしい。
それから、あるあるを見すぎてしまったのも余計辛くなった。
辛いこと・もやもやすることを言語化されてるのを見るのって、とてもすっきりする。
でも、それをきっかけに自分でははっきりと自覚していなかった苦手なもの・嫌いなものたちの存在をたくさん知ることにもなってる気がする。
HSPに関連する発信は、生きづらさを抱えていること前提で発信されている。
当たり前のことだけど。
これはMBTIで生きづらいとされているINFJとかもそう。
(わたしはINFPだけど)
SNSで新たに生きづらさの原因知ることで、わたしの場合は余計生きづらさを作ってしまっている感が否めない。
でもでも、HSPって便利な言葉なの。
わたしもプロフィールに、自分の性格を簡単に紹介するのにすごく適切な言葉だなと思って「HSS型HSP|INFP」って入れているけど…
本当はこういうカテゴリーに頼らず、いい感じの表現を見つけたいよね。
そんなことをぼんやりと考えた日でした。
もし、HSPとかMBTI診断の結果にとらわれすぎて生きづらさを余計増やしていることに気づいた人がいたら、「だよね~!!!!」って言いたい😂
ほんと、ただそれだけの記事でした。
皆さん今日もお疲れ様です。
ゆっくり休んでね☁️🪽
うたたね🪻
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