書評:『昨日までの世界(上)』(ジャレド・ダイアモンド, 倉骨彰)その3:伝統社会の子育て

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伝統社会では、いろんな子育てがある

部族社会というべき伝統社会においては、子育ての多様性は大きい。

国家社会においては、国ごとに違いはあれど、その広がりはそれほど大きくないし、法律で規定されているもの、慣習がテレビなどのマスメディアによって広がるので、違いといっても、伝統社会ほど大きくない。

色々な伝統社会を研究し、比較しているのが、この本の3つ目のテーマである子育てである。

私には子供がいるが、これは、本当に参考になる。なぜなら、子育てという結果が出るまでに長い年月が出ることにおいて、すでに実験済みの事例を探すことができるからである。

なんでも親の言うことを聞かせるパワハラ伝統社会からもらわれていった先が、ナイフで遊んでいる子供に注意をしない放任的な伝統社会ということもあるという。また、ニューギニア高地で育った西欧人の子供が、西欧諸国に戻って受ける教育の違和感など、様々な例があって、面白い。

児童心理学と偉そうに言っているが、その研究対象は狭く、狭い慣習の狭い振れ幅の中の偏った統計である。要するにキリスト教中心の西洋先進国の人間には適用できるが、それ以外には根拠がない。だから、ジャレドダイアモンドさんは、部族社会という伝統社会を研究し、本にしているのである。ありがたい。

出産におけるバリュエーション

部族社会では、「一人で産め」というところもあるらしい。川辺に行って一人で行って産んでこい、である。この子は生きられないと思ったら、母親が嬰児を殺して帰ってくる、ということらしい。

一見残酷であるが、乳児・幼児の死亡率が高い社会においては、合理的な行為ではある。この伝統社会では、生まれてきた子供をどうするのかは、母親が判断するので、一人で産めというわけである。当然、母親の命も危ない。また、子供の人権が発生するのは、生まれた瞬間ではなく、もう少し後に名前をつけた後という社会もあるらしい。

一方、森の小屋で産む部族もあり、そちらは、村総出で女性が出て行って助産師のようなことをするそうだ。要するに色々なのである。

暮らし方や食料を得る方法と嬰児殺しと授乳

嬰児殺しの方は、食料の問題、それから狩猟採取民族具合にもよる。ここから先が実に興味深い。

定住している部族はいわゆる年子でも許されるが、移動する狩猟採集民族に年子は許されない。だから、嬰児殺しが発生することになる。

移動型の狩猟採取民族において、子供の間隔は三年以上である。毒ヘビなどがうようよいるので、少なくとも、3歳児ぐらいまでは、子供はずーと抱っこして移動させねばならない。一人で森と森の間を歩くには、だいたい5歳ぐらいにはならないとダメだという。3ヶ月の赤ん坊を抱っこしながら、2歳の幼児の手を引いて、では移動ができないのである。

このあたりからは面白いのだが、こういう社会では、抱っこが3歳まで続く。授乳期間も長く、3歳まで授乳しているそうである。3歳と1歳の両方を授乳させながら、移動とか無理なので、子供は3、4年おきが限界となる。

それでも子供ができれば、嬰児殺しとなるのが根本的な理由である。

Always おっぱい

現代社会において、育児の常識というのは頻繁に変わるが、人間の歴史の中では違うことを結構やるのが、人間の子育てである。

その代表格が、授乳間隔であろう。

さて、狩猟採取民族は、ずーと抱っこであるが、3歳までずーと授乳である。そして、欲しい時にすぐおっぱいを貰えるのである。

ちょっと前の子育てであると、西欧文化を取り入れて、なく子供は放っておく、授乳間隔は十分開けて、となっているが、こんなものは、伝統社会ではないそうである。

泣いたら、誰かがすぐあやす、おっぱいがあるときは、すぐおっぱいである。赤ん坊は母親のすぐ隣で寝ており、欲しくなったらすぐおっぱいである。一日中おっぱいである。赤ん坊にとっては、明らかにこっちの方が幸せであろうし、安心だろう。

クン族における授乳間隔は、日中は平均2分間隔、夜も含めた平均は14分間隔である。もう、always おっぱい である。そして、それが3年間である。

さて、西欧現代社会の授乳間隔であるが、何時間であろう。こっちは、共働きで職場に復帰ともなればほぼ、2分間隔のおっぱいは不可能である。保育所で哺乳瓶でも2分間隔は、無理である。別にそれでも生きているのであるし、現代社会の方が乳児の死亡率は低いわけなんだから、授乳間隔とか子育てにおいてあんまり気にする必要がないんだろう。悩んで損した気分である(おっぱいたらふく飲ませてゲップをさせるって、あれ、多頻度で少しづつ飲ませればいらないよね・・・)。

哺乳類も色々だそうで、チンパンジーは部族社会と一緒。一方、ライオンなどネコ科の動物に襲われる草食動物の方は、授乳間隔が長い。代表は、アンテロープとウサギだそうだ。ウサギはまとめて授乳させ、巣に子供を隠して食料調達にいく。現代のウサギ型の子育てと、伝統社会におけるチンパンジー型の子育てということになろう。ちなみに、ホモサピエンスにおいて、現代のウサギ型子育ては数千年程度、チンパンジー型子育ては、数百万年の歴史を持つ。

抱っことかおんぶとベビーカー

移動採取民族の話が続く。無論、ベビーカーなどはないので、抱っこ、おんぶである。いつも、誰かとべったりであり、ママとべったり、もしくは、ジジババ、お兄ちゃん、おねいちゃんとべったりなのが、移動採取民族の子供である。もう、抱っこ、おんぶパラダイスである。

こちらも哺乳類でいうと、チンパンジー、コウモリなどはこっちの部類。

伝統社会には、母親と子供が一緒に寝ない文化もほぼない。ベビーベットもないのである。米国では、小児科の指導が、「子供を潰すから、同じベッドで寝るな」であるが、伝統社会の歴史とは異なるようである。危ないからちゃんと書いておくと、伝統社会は硬いところで寝ているのに対して、現代人はベットの柔らかいマットレスで寝るので、赤ん坊の上に乗っても気づかないという事情はあるのだそうだ。

例えば、クン族の生後1年は、90%の時間で母親とのスキンシップ・触れ合いの時間だそうだ。児童心理学上のアタッチメント(=愛着)はスキンシップから生まれるというので、そりゃ、子供の精神も安定するだろう。クン族では、母親が抱っこできないときは、誰か他の大人が抱っこする。1歳半で親離れするときも、子供判断で離れるので、親から離すようなこともしないという。現代社会において、子供の精神安定性がないと言われるけれども、それは、スキンシップ量の差じゃないかと、私は思った。

ベビーカーも最近対面型が多いようだが、これは運動神経が悪くなるのに関係あるのではと筆者は言う。クン族などは、おんぶだから、大人と子供が同じ方向を見ている。対面型のベビーカーは、親の顔しか見えない。クン族の子供が小さい子供を抱っこして動かす時も、顔は前であり、大人と同じ視野。おんぶと同じく、視界は前を向いている。

ゆりかご板と言うのも伝統社会にてよく使われている。板に布で赤ちゃんをぐるぐる巻きにして固定する。キリスト教的西洋社会では、足の自由を失わせるとしてこれが否定されるようだが、足が動かなくても運動能力に支障は出ないことは、伝統社会が証明しているそうだ。

と、人類数百万年の歴史が語る子育てと、現代の子育て理論を比較した場合、あんまり気にしなくていいんじゃないかなと思うのである。

まあまあ、長くなったので、次回の父親と子育ての話は、次の記事に回すことにする。

感想

数百万年の歴史を持つ伝統社会におけるチンパンジー型子育て。そして、長くて高々数千年の最近のウサギ型の子育て。そして、現代の子育て理論。まあ、どれが正しいとも言えないが、保守的に考えるのであれば、伝統社会の子育て(≠江戸時代の子育て)の方が実績があるんだろうと思う。そして、どっちも機能していると思うのであれば、細かいことをあんまり気にしなくて良いのだろう。人間の赤ちゃんは柔軟に環境変化に対応する。

私が特に面白いと思ったのは、赤ん坊の扱いである。嬰児殺しをするような社会の方が、赤ん坊を大事に育てているのは面白い。90%母親と密着しており、泣けば30秒以内に誰かが来て泣き止む、おっぱいは3歳まで飲み放題なのが、移動採取民族における習慣である。もう、乳幼児にとってはパラダイスである。嬰児殺しは残酷だが、乳児と大して触れ合わない現代社会とどっちが残酷なのかは、よくわからんと言う話になるので、これらの社会の嬰児殺しを私は否定できない。かわいそうだけどね。

個人的な経験からすると、特に一人目の子供の時は非常にどうすれば良いかと心配をする。「最新のかっこいい高価なベビーカーじゃなきゃいけないんじゃないか」とか、「授乳間隔はしっかり測って規則的に」とか、「赤ん坊はベビーベットで一人で泣かさなきゃいけないんじゃないか」とか、「赤ちゃんが泣いてもすぐに抱っこしてはいけない。忍耐力がつかない」とか、心配しながら育てるわけであるが、こんな悩みは伝統社会の生活からしたら、全部、無駄な悩みである。

現代においても、伝統社会で暮らしている人は、子供をほぼ抱っこ・おんぶしているし、赤ん坊は平均2分に一度おっぱいにありついているし(飲みたいときに飲む)、母親の隣で寝て90%の時間は母親と触れ合っているし、泣けば誰か大人がすぐに駆けつけるのである。そして、それらの子供は、現代人よりも少なくとも健康的に、運動神経よく育っているようである。

と言う実例を見るに、適当にやりたいようにやっても子供は育つわけで、西洋社会のごく一部の学歴の高い人だけを母数にして作った統計をベースにした現代のポンコツ子育て理論よりも、人類数百万年の歴史をベースにした感覚的な子育て方法でいいんじゃないかと思うし、そもそも、部族によって違う教育方針と慣習で子供は育って生きているんだから、子供の教育なんぞは、やりたいようにやればいいんじゃないかと思うわけだ。

まあ、日本でいるうちは、日本の法律の範囲内でやるわけだが、あんまり、ベビーカーがどうだとか、授乳間隔が短すぎるとか、本当に気にしなくて良いと思う。

そういった意味では、そういったどうでも良いことを気になるようにするような、嘘の医療情報やデマ情報を拡散して、初めて子供を持った父母の不安を増幅させる南場智子のDeNA社がやっていたウェルクのようなインチキメディアの悪徳ぶりはハンパないわけである。

そう言うメディアをみてステマにかかり、最高級のベビーカーに無駄な金を使うより、ジャレドダイアモンドさんの本を読んだ方が、初めて子供を持つ父母にとっては、数倍精神に良いだろうし、役に立つだろうと思われる。

この本、タイトルと表紙がイマイチなだけに、勿体無い。内容は面白いし、子育ての役に立つと思うんだがなあ。

続く





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