書評:『昨日までの世界(上)』(ジャレド・ダイアモンド, 倉骨彰)その2:伝統社会での戦争と戦争で死ぬ確率

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伝統社会では、戦争で死ぬ確率が高い

近代の戦争の定義というのは、国家間の戦争であって、それ以外は紛争としてしまうのだが、これはちょっとよくない。伝統社会の集団は、色々な規模があったはずで、他の集団と組織的に戦えばそれは戦争だろうという時代に逆行しない定義をした場合、部族間の戦争というのもありうる。

部族間の小さな戦争というのは、散発的に、復讐戦いが繰り返される。オラが村の一人が殺されたから、一人殺して復讐した。その復讐をした、といった復讐の連鎖が行われる。武器は、弓矢とか棍棒なのだけど、当たりどころが悪いと死ぬ。

陣形を組んで組織的に、というのではなく、バラバラに戦うから大量に殺人されることもなく、長期間にダラダラと続く戦争になる。

死者は数名程度が続くのだが、そもそも集団の人口が少ないので、戦争による致死率というのは近代国家よりも高い。危険な場所が伝統社会である。それは、世界大戦の死者を含めても、現代社会の戦争での死亡率より、伝統社会の戦争における死亡率の高いという。

原住民を美しく書く人がいるが、これは間違いで、戦争で死ぬ可能性が高い社会なのである。国家のある社会の方が安全。まあ、だから人間は現代社会化したのだろうけど。

戦争はなぜ起きるのか?

チンパンジーも同じように戦って死ぬので、「人間も祖先のチンパンジーのように戦争するのだ、しょうがない」という推論は色々な段階で間違っていると著者は言う。

まず、チンパンジーは祖先ではない。チンパンジーよりよりホモサピエンスに遺伝的に近いのは、ボノボだ。ボノボは戦争をしないし、戦争で死なない。だから、よりホモサピエンスに遠いチンパンジーの性質を人間は遺伝していない。

ライオンなどを含む動物が戦争をするのは、集団規模に違いがある場合、争う資源がある場合だと言う。集団規模に違いがあるとボコボコにできるので戦争のリスクが下がるので、戦争が起きる。資源はリスクを犯してまで取るべきリターンがあるかどうか。遺伝というよりも、環境だという。

北アフリカのある種族は、略奪者と呼ばれていたらしいが、実際は、相手方の防衛能力の強弱を推定し、それに基づき、公正な取引をするか、搾取をするか、略奪をするのかを判断し、この選択肢を使い分けていたらしい。これも、戦利品がある場合、よくわかる。

戦利品がなくても戦争が起きる。伝統社会の戦争の理由は報復である。

伝統社会では、戦争相手は近所しかいないので、顔見知りである。顔見知りの隣の部族と報復して、戦争して殺しあう。現代社会は、銃などを使って、見知らぬ人を殺す。でも、報復ではない。ここに違いがある。

伝統社会では、人を殺すことは普通なので、人を殺して、PSTDなどにはならない。一方、現代社会では、殺人した自分に苦しむ人がいる。

なるほどなあと思うのであった。

続く

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