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書評:『昨日までの世界(上)』(ジャレド・ダイアモンド, 倉骨彰)その4:伝統社会のアロペアレンティングと子育て

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父ちゃんの子育て

動物もいろいろ。ダチョウはメスが卵を産んであとはオスが子育てする。哺乳類の多くは逆で、メスとの交尾が済めばあとは御構い無しで他のメスの尻を追う。ホモサピエンスはこの間に位置する。

父親は、赤ん坊より年長の子供の世話をする傾向にあるそうだ(私もそうだ)。

父親の子供の養育に関わる関与具合は、食料を誰がとってくるのかに依存することが多い。狩猟採取民族の場合、女性が食料調達を担う割合が高いので、父親の子育てへの貢献が大きくなる(アカ・ピグミー族など)。逆に、父親が戦士として戦うニューギニア高地の人々は、父が子育てしない。

まあ、共働きなら、父親もちゃんと子育て参加するってことか。

アロペアレンティング

父母以外が子育てに関わることをアロペアレンティング(代理養育)と言うのだそうだ。狩猟採取民の小規模血縁集団では、赤ん坊が生まれてすぐこれが始まる。焚き火の周りで赤ん坊がぐるぐる回され、大人や年長の子供に、頬ずりされたり、そっとゆすられたり、うたわれたりする。アカ・ピグミー族では、赤ん坊は、1時間に平均8回誰かに渡されるそうだ。

狩猟採取社会では、父母と赤ん坊が一緒に食料調達に出ることはなく、その間は、祖父母が野営地で子供の面倒を見ている。東アフリカのハヅァ族では、祖母が世話している方が体重増加ペースが早いそうだ。

農耕民や牧畜民では、叔父がよく面倒を見ていて、年長の従兄弟が子供の面倒をよく見ている。年上の姉たちは年下の弟妹の面倒をよく見る。

こう言ういわゆるコミュニティとの関わりを持ちながら、子供が育つので、社会性が育つ。ニューギニア高地のある部族では、大人はみんな叔父叔母であると思って生きている子供もいるぐらいである。

ジャレドダイアモンドさんが、ニューギニア高地で、荷物運びを募集していると、親の許可も得ずに、10歳の少年が応募してきた。そのままついてきた。荷物運びの仕事は、2、3日かと思えこ、1ヶ月の間かかってしまったそうだが、これが問題がない。10歳の少年の動向は、逐一、集落の人から親に伝えられていたので、10歳の少年が勝手にバイトで1ヶ月家を空けても、問題ないのである。

世界各地の伝統社会におけるアロペアレンティングに研究からも、アロペアレントの存在が子供の生存率を高めることが示されているそうだ。大人や社会との関わりもアロペアレンティングがうむのである。

とここまでが本の内容。以降が感想。

従兄弟や叔父叔母、近所の人たちというのの関わりが、現代社会の核家族化の中では急速に失われている。私の家族はそういうのがある方なのだが、かなり珍しい。近所に従兄弟というのも都市部では珍しくなってきた。

就職活動をするときに、結局うまくいくのは、叔父叔母と深い関係にあった子供たちという話を私は別途聞いたことがある。年齢が離れた親以外の誰かに養育を手伝ってもらうと、距離感がありつつ、ちゃんと他人じゃない人との意思疎通がはかれる。いざという時に相談したり、頼れる存在があるわけで、やはり人間心理としても落ち着く。また、親以外に広く関わりを持っておくと、様々な職業の情報を得ることができるわけで、社会でうまく生き抜くには大事なことだろう。

核家族化後のコミュニティの崩壊というのは、工場文化が産んだ第二次産業ブームの副産物で比較的新しい問題である。この解決は未だ図られていない。新しいアロペアレンティングがその答えであることが明らかではあるが、じゃあ、それがどのような形なのかが見えていないことが、現代社会の問題であるなあと思うわけである(まあ、うちは親戚づきあいをするだけだけれども)。

泣く子供への対応

泣きじゃくる子供への対応というのは、小児科医の間でも論点であるそうだ。国によって対応が異なるそうだ。

ドイツでは、相手をしてはいけないそうだ。対応する場合は、10分から30分たってから対応するのだそうだ。わがままに子供を育てないというのがその方針らしい。

アメリカはもう少し早く対応するんだそうだ。泣けばすぐかまう。

1920年から1950年は、アメリカでもドイツのような考え方だったらしく、都市部では、大事なのは、「決まったスケジュール」と「清潔さ」だけだったそうだ。我慢を覚えさせるという奴である。

狩猟採取民族ではどうか。

エフェピグミー族では、赤ん坊がぐずり始めてから10秒以内に対応する。母親か他の人間がすぐになだめようとする。クン族の場合はもっと早くて、3秒以内になんかされることが88%に及ぶという。もう、落としても食べても良い3秒ルール状態である。10秒以内だとほぼ100%だという。

結果として、クン族の赤ん坊は、1時間あたり述べ1分しか泣かず(オランダの約半分)、一回あたりの泣く時間は10秒以下に抑えられる。ちなみに、多くの研究で、泣いても無視される1歳児は、泣いたらすぐに対応してもらえる一切時より、多くの時間を泣いて過ごすという結果が出ているそうだ。

ここから感想。

こういうのをまざまざと見せられると、泣く赤ん坊をすぐに抱き上げて良い気がしてきますな。まあ、ドイツ人も生きているから、抱き上げなくても良いのだけれども。

子供と体罰

こちらは、伝統社会の話ではなく、西洋社会の常識にびっくりしてしまったのだが、欧州の一部では、まだ体罰がOKなんだそうだ。ビスマルク時代のドイツなど、体罰しまくりである。米国では、昔はやっているが、今はやらない。スウェーデンでは体罰は法律で禁止されている。

ドイツ社会やイギリス社会では、高学歴でリベラル主義の人や、福音主義のアメリカ人では、体罰を与える子育てに肯定的な人が多いそうだ。17世紀のイギリスの詩人は、「鞭を惜しめば子供はダメになる」と書いているそうだ。

これと全く逆なのが、アフリカのアカ・ピグミー族であるそうで、絶対に子供を叩かない。叱ることさえしない。近隣の体罰する部族を「恐ろしく乱暴な子育て方法」と考えているそうだ。

一方、ニューギニア高地のある部族では、家族の目の前で木の棒でバシバシ殴り続ける老婆を誰も止めないというようなところもあるそうだ。

体罰の許容は場所によって異なるのだ。

最後にジャレドさんのまとめがある。なんか壊すようなものを持っているところは、子供に厳しく体罰を行う傾向があるが、何も持たざるところはそういう傾向が少ないそうだ。

例えば、定住牧畜社会で家畜の門を壊してしまえば、財産を失う。こういう社会では体罰をしてでも、子供を統制する理由がある。一方、移動をよくする狩猟採取民族では、大したものを持ち歩けないので、体罰などをする必要がない。

アマゾン奥地にキリスト教の布教に行った福音派の牧師の話が載っていて面白かった。娘に体罰をしようとしたら、集落の人が全部ついてきて、体罰をすることができなかったそうだ。それぐらい、体罰はいけないという文化があるところは徹底している。

こっから感想。

私個人的には体罰はいけないと思っているが、数は少ないものの小学生に手を挙げたことがある(幼い弟を叩くなどして武力行使で従わせようとした場合など)。あとで、本人に謝ったが、あまりいい気持ちのするものではない。

そう行った意味では悩ましい項目であるのだが、先進国でもまだ体罰をしている国があるのはちょっと驚くとともに、伝統社会で体罰を一切許さない社会があるのも面白いと思った。

そして、結局は、大人の都合と思うわけだ。壊されるものがあれば子供に体罰するし、大したものを持っていなければ、子供を体罰することもない。確かにそんなものもある。

私個人としては、貧乏人が、家を調度品で固めて、子供がそれを触るたびに騒いで子供を叩くような親がいるとすれば、それが一番心が貧しいと思う。そんな壊されて怒るような調度品などなくてもいいじゃないかと思ってしまう。

まあ、幼い弟君はなくすわけにはいかないが、わざわざ子供に暴力を振るう装置としての財産を家にこさえていないかというのは、よくよく内省して見ないといけないなと思ったのである。まあ、そんなに財産がないから大丈夫なのだけれども。

子供の自律性

子供にどこまで行動の自由を認めるか、この人権意識が部族によって異なる。ナイフであろうがなんだろうが、自由に扱う権利が幼児にもあるという社会もあるし、そうでない社会もある。結構、そのブレ幅は大きい。

それは、環境にもよる。

熱帯雨林でのアチェ族の生活は、周りに毒蛇がうようよしているので、1歳以下の子供は93%母親か父親と肌を寄せ合っている。母親より1mも離れるようになるのは、3歳を過ぎてから。おかげで、歩き始める時期が遅いそうだ。

一方、見通しの良い森の中で子供だけで遊んで良い部族もあるそうだ。オーストラリアの先住民は、危険がないので、子供だけで遠出してもOK。

まあ、周りの危険によるというところだろうか。

ジャレドさんの意見と私の意見

狩猟採取民族の子育てって色々参考になるよね。特にアロペアレンティングという考え方はすごく国家社会に住む我々にも良いのではないかという話が最後に書いてある。

ここからは、私の感想である。

ドラッカーが指摘する産業革命の影響を受けたコミュニティの破壊(今まではオラが村で交流があった、アロ・ペアレンティングをしていた)が20世紀以降の世界の主要な社会課題であると私は思っているのであるが、じゃあ、昔の狩猟採取時代に戻ってみると、その問題はもちろんない。

もはやものづくりの第二次産業などくそで、第三次産業がメインになりつつある現代社会において、逆にものづくり重視のパワハラ時代の常識をぶち壊して、狩猟採取時代の常識の一部を取り戻すことは、結構、未来に続くことなのではないかなと思うわけである。

こと、子育ての常識に関しては、明らかに、工場で製品を管理するように、赤ん坊を管理しようとしていた20世紀が間違いであるように私は思えるので、もう少し、伝統社会の幅広い常識を学んで、親の判断で色々な子育ての形があっても良いかと思った。

老害というのがいるが、要するに昭和の工業社会の常識の名残が非常に我々の世代には迷惑なのである。時代はすでに情報産業が中心のクリエイティビティが大事な時代に突入しており、工場で同じものを永遠と作っている人たちのノウハウはいらないのである。ここに、工業と生き物を扱うバイオ産業に大きな差があると私は思うのである。

というわけで、人間数百万年の歴史が残る伝統社会と、たかだか数千年の年社会と、ここ100年ぐらいの現代国家社会を比較して、子育ても語るこの本は、結構役に立つと思うので、ここに書評を残すとともに、何が書いてあるのか忘れるから、私の備忘録的にもこれを残すのである。

が、本当の中身はジャレドダイアモンドさんの文章を読まねばわからないので、書評程度の薄い文章を読んで、本の内容を理解したつもりになるのであれば非常に危ないと思うので、その旨も記しておく。

続く



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