緘黙症と不登校

長らく放ったらかしにしていて申し訳ありません。気まぐれな人間なので今後も気まぐれな更新頻度になるかもしれません。出来るだけそうならないよう気を付けます。

さて今回は不登校だった過去について書きます。私は中学と高校で2回不登校になっています。


1回目の不登校~中学校~

私は小中とクラスメイトに軽いいじめを受けていました(いじめについてまた後々書くかもしません)。いじめられていてつらかったのも不登校の一因なのですが、他に大きなキッカケがありました。
それは家庭科の調理自習で班ごとに食材を買って料理することになった際、私がレシート係を任され(それも私が緘黙症で言い返せないのをいいことに強引に決まった)、同じ班の人の買った食材のレシートを集めて一週間後に先生に提出するように言われました。
班は全員で6人いて、その中の1人は自主的にレシートを渡してくれたのですが他の4人は渡してくれず、でも自分から「レシートちょうだい」と言うこともできず、刻一刻と提出期限が近づいてきて「どうしよう…」と焦りが募りました。
そしてついに当日の朝を迎え、通学路を歩きながら「レシートを提出しないといけない。でも同じ班の人から貰ってない…」と不安に押し潰された私はその場で立ち止まり、しばらく考えたあと来た道を引き返しました。家の前まで戻ってきたとき、私は母親に一通のメールを送ります。内容は「学校に行きたくない」。

その日から私は不登校になりました。確か9月の中頃でした。不登校になるまでは休まず真面目に通っていたのですが、上記の一件でプツンと糸が切れたように学校どころか外にも出なくなり、再び学校に通い出したのは学年が上がった4月からでした。


大人になった今、思い返すと「そんなことで休むなんて…」と思ってしまうんですが、当時の自分にとっては本当に一大事でした。昔から私は親に相談するという選択肢がなくて、いつも1人で抱え込んでました。親には言えなかった。
ちなみに不登校になった理由も親に言えませんでした。なんで行きたくないのか聞かれても無言を貫いて、先生が家庭訪問しに来たときも終始無言でした。ただ涙を流すだけで言葉を発することはなかった。
なんで言えないのか、当時の自分の感情を言語化するのは大人になった今でも難しいです。何でか分からないけど言いたいことが喉元でつっかえしまう。そんな感じ。


2回目の不登校~高校~

前回の記事に書いたんですが私は中学3年生のときに緘黙症が治りました。
詳しくはこちら↓

そして、高校に上がっていじめも無くなりました。ではなぜ不登校になったのか。

中学までずっと緘黙症だったので会話でのコミュニケーションの取り方が分からず、小中とずっと同じ友だちと過ごしていたため友だちの作り方も分からず、周りの子たちがどんどん仲良くなっていく様子を見ていて、このままだと自分は1人ぼっちになってしまうという現実に耐えられなくなって5月の初めから不登校になりました。そのまま翌年の3月までのおよそ1年間休みました。


これも今思うと「そんなことで休むなんて…」なんですが、当時の自分にとって1人ぼっちで過ごすのは“この世の終わり”っていうぐらい絶望的なことでした。不安が自分の頭の中で巨大化していって埋め尽くされてしまうんですよね。そして、それ以外のことが考えられなくなる。周りが見えなくなる。

緘黙症の人がみんな不登校になるわけではないし、不登校の原因と緘黙症を直接的に結びつけることはできませんが、私は緘黙症で苦痛を受けることが多かったので結果的に不登校になりました。

緘黙症の子でも楽しく学校に通えるようなサポートや支援が増えてくれたらと切に願います。

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