緘黙症が治った理由


前回は緘黙症になったきっかけについて書きました。

今回は治った理由について書いていきます。不思議なもので緘黙症になったときのことはハッキリ覚えてるんですが、治ったときのことはあまり覚えてないです。


緘黙症が治った中学生のときの話

中学生の私は自分が緘黙症であるため、学園ドラマなどで友だち同士が楽しそうにおしゃべりしているシーンを見て、いつも羨ましく感じていました。私も“友だちとしゃべりたい”…漠然とそう思っていました。
私には小学生からの友だちがいて(その子をAちゃんと呼ぶ)、普段は筆談やジェスチャーでコミュニケーションを取っていましたが、それだと伝えきれない、もどかしいと思うことも沢山ありました。

“友だちとしゃべりたい”という気持ちは日に日に膨らんでいき、ある日「このまま話さずに過ごすのは嫌だ!」と思い立ちます(何がきっかけだったのか不明…)。そして私はAちゃんにメールで「明日から話してもいい?」と伝えました(事前に伝えておいた方が話しやすいから)。相手からしたら突然の告白だったと思いますが、Aちゃんからは「いいよ」という返事が。そして私は「明日からしゃべろう!」と決意します。

しかし今まで話さず生きてきた私にとっては一大決心。心臓バクバクの状態で登校。教室に着くやいなやAちゃんの机に向かいます。いつもと同じように話しかけてくれるAちゃん。最初は今まで通り、ジェスチャーでコミュニケーションを取っていました。なかなかしゃべり出すタイミングが掴めない…。
意を決して聞こえるか聞こえないかぐらいの小さい声を出してみたら、Aちゃんがすんなりと受け入れてくれた。それが嬉しくて(たぶん大袈裟にリアクションされてたら恥ずかしかったと思う)、その日から友だちと話せるようになりました。


最初は恥ずかしくて短い単語しか言えませんでしたが、少しずつ文字数を増やしていき、1ヶ月ぐらいかけて支障がない程度になりました。
相手が友だちだったのもあってしゃべるハードルが低かったおかげかもしれません。友だちが大袈裟にリアクションせず、しゃべる前と同じように接してくれたのが嬉しかったのを覚えています。

このエピソードに親は一切出てきません。なぜなら私は緘黙症について親に相談したことが一度もないからです。
そもそも緘黙症という言葉自体、当時は私も親も誰も知らなかったので、私は学校で極端に大人しくて人見知りする子として扱われていました。だから自分が悪いんだと思い込み、相談できずにいました。
そして緘黙症を治ったときも先生やカウンセラーに相談して、とかではなく自力で。自分が悪いんだから自分で治すしかないと思っていました。

当時の自分が緘黙症という言葉を知っていたら、もっと楽に学校生活を送ることができたかもしれないし、自分を否定せずに済んだかもしれません。だから現在、緘黙症で悩んでいる人のためにもっと緘黙症という言葉が広まって認知される世の中になってほしいと思っています。

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