2021年6月16日まるが写っているだけだよ

本当に妊娠しているかどうかを調べるために、夫婦で産婦人科に出掛ける。

朝から雨が降っていたが、出掛ける時間になったら雨がやんだ。幸先良い。さらに病院に着いたら、駐車場に大きな切り株を3つ見つけた。これも幸先が良い。木が切られているということは、帰る森がないということの暗示なので(森については前回の日記を参照ください)。

これから何度か世話になる切り株

新型コロナウイルスの流行のため、付き添いの人は病院の中に入れないとのこと。おれは病院の外で2時間ほど待つことになる。周りに休めるような場所はまったくないので、さっき見つけた切り株に座った。

なんとなく空を見て、spotifyで音楽を聴く。

しばらくして気づいた。ひょっとしたらこれ、病院のトイレも使わせてもらえないんかな。音楽が頭に入らなくなってしまった。

切り株に座って待つこと2時間。妻が来た。

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病院で撮影したエコー写真を見せてくれた。妻は妊娠していた。

「見て。ただのまるだよ。なんか笑っちゃうね」

本当だ。
黒い画面の中に、ただのまるがある。
受精卵というやつだ。
これが生きているのか。

まあほぼ間違いなく妊娠しているだろう、ということは分かっていた。しかしこうして改めて伝えられると、頭をぶん殴られたようなショックだ。おれは大学の時に少林寺拳法をやっていたので、ぶん殴られたショックについてはリアルにわかる……。

2週間後にまた病院に行く。そこで胎児の心臓が動いていたら母子手帳を発行してもらえるそうだ。つまりまだ妻は行政的には「母以前の状態」ということか。お腹にまるがいるのにね。

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病院の帰りに花屋で花を買った。「名前はひまわりにしようか」と言ったら「それじゃクレヨンしんちゃんだよ……」と返されてしまった。

この日から僕たちは胎児を「まる」と呼ぶようになった。

妻の日記より

産婦人科で「おめでとうございます」と言われた。ブラウン管テレビの砂嵐みたいな空間の中に、小さな黒い丸が浮かんでいる写真を貰う。この丸の中に、私と夫の子供がいるらしい。

保険がきかないので、自費で12000円程支払って病院を出るが、まだ実感はわかない。でも、なんだかその丸を見つめていると、涙がこぼれそうになるから不思議だ。

駐車場に夫の姿が見えた。コロナウイルスの感染対策で、付き添いの来院は禁止なのだ。それでも一緒に来て、ずっと外で待っていてくれた。

緊張した顔の夫に砂嵐と丸が写った写真を渡すと、夫は体の力が抜けたのか、駐車場にヘナヘナと座り込んだ。

私達は不妊治療を3年程やっていた。なかなか上手くいかなくて、子供のいない未来も見据えていたし、もうあきらめようと泣きながら訴えたこともある。

不妊治療をしている間、自分の人生が自分のものでなくなったような、なんとも言えない無力感を常に味わっていた。何不自由なく暮らしているのに、子供ができないというだけで、自分がとても不幸に思えた。

他人と自分を比べては嘆き、未来の理想のために自分の今を犠牲にした。毎月生理が来る度に落ち込み、泣いて、不妊治療以外のことはあまり考えられなかった。

趣味も上手くできなくなった。何かを考えようとしても、基礎体温のことや、排卵誘発剤のことや、人工授精のことばかり浮かんでくる。処方される薬のせいなのか、いつも頭がぼうっとするし、無意味にイライラしている。

子供ができないことよりも、それが悲しかった。まだ存在しない人間のために、ここまで自分をいじめてしまって、その事がずっと嫌だった。子供を持つことだけが人生じゃない。夫がそばにいれば幸せで、それで十分なのに、何を苦しんでいるのだろう。ずっと自分が理解できなかった。

結果的に今回、子供を授かった訳だが、3年間の努力と苦しみが報われたとは全く思わない。いくら病院に通っても不妊の原因はわからないままだったし、妊娠した時が、特別これまでと条件が違った訳でもない。

というかむしろ、仕事の都合で指定された日に病院に行けなくて、色々と適当になった月だった。ちょうど「病院を変えようか」という話も出ていた所だ。だから今回のことは、単なる偶然でしかないと思っている。

「1時間もどこで待ってたの」
「近くに切り株があったから、座ってたよ」
夫は切り株に座っていたらしい。切り株?

書店に寄って、妊娠出産に関する本を買って帰った。足元がふわふわした。

サポートしていただけたら妻においしい果物を買ってきます。